津軽半島: 竜飛岬

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竜飛岬・歴史・観光・見所
竜飛岬(津軽半島)概要: 竜飛崎灯台竜飛岬は津軽半島の最北端の岬で津軽海峡の対岸の20キロメートルで北海道の白神崎と対になっています。竜飛岬の名称の由来はアイヌ語で「タムパ:刀」が転訛したとも竜が飛ぶがぐらいの強風が吹くとも言われています。竜飛岬の形状はデイサイト、安山岩の火砕岩で形成された海抜100m前後の台地で、三方が急崖、頂上が緩やかな平地となり竜飛埼灯台やススキの草原が広がり、冬は風が強すぎて深く雪が積もることがないそうです。古くから津軽半島の景勝地としても知られ吉田松陰、大町桂月、大久保武雄、佐藤佐太郎、川上三太郎、太宰治など多くの文人墨客が竜飛岬を訪れており、吉田松陰は「外国船が自由に往来している津軽海峡を、竜飛岬から見たかった。」と語っていたとされ、上記の通り吉田松陰は竜飛岬の先端には訪れておらず、小泊から算用師峠を越えて三厩に至っています。竜飛岬周辺に至った時期は嘉永5年(18522)旧暦の3月はじめ頃で、積雪や日本海から吹き付ける強風により弘前藩でも算用師峠を通行禁止にする程の難所だった為、竜飛岬には行きたくてもいけない状況だったと思われます。文政12年(1829)に小泊を訪れた荒川秀山は津軽半島を自ら歩きその風景や景観、歴史的な背景に大変感動し、小泊十二景(七ツ石・権現崎・経島・羅漢石・姥石・辨天崎・稲荷堂・青巖七瀧・傾石・竜飛岬)を選定し七言絶句の漢詩を詠んでいます。太宰治は昭和19年(1944)に友人のN君と、竜飛崎を訪れており、この時の道中を作品とした著書「津軽」の中で「ここは本州の袋小路だ。諸君も銘記せよ。」と表現し竜飛岬の麓には「津軽」の舞台(作品中、太宰治と友人N君と宿泊しています。又、棟方志功の縁の宿でもあります。)でもある「奥谷旅館」の建物が現在でも残されており現在は「竜飛岬観光案内所」として一般公開されています。現在の竜飛岬は観光地として整備され展望台や多く石碑や文学碑(川上三太郎句碑・吉田松陰碑・太宰治文学碑・津軽海峡冬景色歌謡碑・佐藤佐太郎記念碑・大久保武雄碑・大町桂月文学碑など)、車が通れない階段国道339号などがあります。竜飛岬は昭和50年(1975)に津軽国定公園として指定されています。
竜飛岬
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