権現崎(津軽半島)概要: 権現崎は青森県北津軽郡中泊町小泊尾崎道に位置しています。権現崎は津軽半島の景勝地で海抜229m、日本海に突き出た様子は獅子が寝そべったような形をしています。文政12年(1829)、小泊を訪れた荒川秀山が小泊の景観に感動し「小泊十二景(七ツ石・権現崎・経島・羅漢石・姥石・辨天崎・稲荷堂・青巖・七瀧・傾石・龍飛崎)」を選定し七言絶句の漢詩を詠んだとされ、権現崎も小泊十二景の1つとされ、緑色の岩壁が高層楼のようで海にかぶさるような景観から「捨揖凌雲第幾層 翠屏俯海勢如崩 蝦夷絶島外浜大 八面来朝最上乗」と詠んでいます。又、中国から不老長寿の薬を求めて来日した徐福が権現崎にある小泊崎に上陸し尾崎山のギョウジャニンニクを調合し周辺住民に分け与えたとの伝承が残されています。
又、一説には徐福は紀伊半島の上陸を目指しましたが対馬海流により流され権現崎に漂着したとも云われ、何れにしても後裔は当地に留まり徐福を祭る尾崎神社の神官になったそうです(尾崎神社の創建は大同2年807年)。徐福は中国から航海して当地に上陸したとの伝承から、航海神として当海域を航行する漁民や海運業者から篤く信仰され、権現崎自体が航行中の目印として信仰の対象となりました。中世以降は神仏習合し修験僧の拠点として繁栄、又、権現崎は三方が海に囲われ断崖絶壁だった事から安東氏の持城の1つ柴崎城が築かれていました。
現在は小泊から遊歩道が整備され頂上からは日本海をはじめ、北海道や岩木山、十三湖などが一望出来ます。寛政8年(1796)には江戸時代後期の紀行家で民俗学の祖とされる菅江真澄が訪れ由緒などを記録しています。
|