大間越関所(深浦町)概要: 大間越関所は慶長8年(1603)、弘前藩(藩庁:弘前城)と久保田藩(藩庁:久保田城)の藩境が確定した後に設けられ、さらに元和9年(1623)、弘前藩2代藩主津軽信牧の命により奉行所も併設されました。弘前藩に入藩する為には奥州街道、羽州街道、大間越街道(西浜街道)の何れかを利用するしかなく、奥州街道には野内関所、羽州街道には碇ヶ関関所、大間越街道には大間越関所を設け厳重に人や物資の出入りが管理され「津軽三関」とも「津軽三大関所」とも呼ばれました。
特に江戸時代初期の寛文5年(1665)までは藩主津軽家の参勤交代は大間越街道を利用した為に重要視されました。天明5年(1785)には江戸時代の紀行家菅江真澄も久保田藩から弘前藩に入る際も大間越街道を利用しており縁の地となっています。
4代藩主信政の命で参勤交代のルートが羽州街道に変更された後は主に人物改めや荷改めが行われ明治維新後に街道制度が改正になると大間越関所も廃止となっています。
現在は土塁とその上に植えられた老松だけですが、木戸や木柵が復元され、周辺は福寿草公園(深浦町の町の花に指定されているフクジュソウが約3千本が植えられています。)として整備されています。大間越関所跡は昭和51年(1976)に深浦町指定記念物(史跡)に指定されています。
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