羽州街道(青森県): 油川宿〜碇ヶ関宿

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概要・歴史・観光・見所
羽州街道(青森県)概要: 羽州街道は奥州の諸大名が参勤交代で利用した重要な街道で、青森県では弘前藩と黒石藩が南部藩との関係が良くない事(津軽家は南部家の一族でしたが離反して独立した経緯があり、江戸時代後期には南部藩による暗殺未遂事件があった。)から南部領を縦断する奥州街道は回避し羽州街道を利用していました。江戸時代当初は大間越街道(西浜街道)が参勤交代の経路でしたが、寛文2年(1662)以降は羽州街道を南下して久保田藩領など出羽国を縦断して桑折宿から奥州街道に入り江戸に至る経路に変更しています。吉田松陰菅江真澄古川古松軒伊能忠敬、イザベラ・バード、明治天皇なども羽州街道を利用し津軽に入り、特にイギリス人女性紀行家イザベラ・バードは矢立峠を絶賛し、著書「日本奥地紀行」で「私は日本で今まで見たどこの峠よりもこの峠を賞め讃えたい」、「光り輝く青空の下であるならば、もう一度、この峠を見たいとさえ思う」と評しています。

羽州街道(青森県)の宿場町: 矢立峠(標高:258m)が久保田藩(秋田藩)との藩境で名称の由来の伝承は諸説ありますが元慶2年(878)に境界線を決める為に矢を射って突き刺さった杉の大木を目印にした事が起因になったと伝えられています。江戸時代に入るとその大杉は藩の境界線となった為、柵を設けて保護し、津軽家が参勤交代の前には臨時の御休所が設えられたと云われています。弘前藩最初の宿場町である碇ヶ関宿には津軽三大関所(碇ヶ関・野内・大間越)に数えられた碇ヶ関関所や藩主の御仮屋が設けられ人や荷物の厳しい取締りが行われ、軍事的拠点としても重要視されました。御仮屋とは藩主の宿所のことで土塁や柵などが設けられ他藩では陣屋や本陣に相当する施設とされ弘前藩では要所に御仮屋を設けた事で津軽家が使用する本陣は基本的にありません。大鰐宿に隣接する大鰐温泉も名湯として知られ、津軽家の湯治場となる御仮屋が設けられ度々訪れたとされ旅人の疲れも癒されていました。

浪岡宿は中世、北畠氏の居城だった浪岡城(国指定史跡)の城下町として発展した町で、浪岡城が廃城になると往時の繁栄は失いましたが黒石(黒石藩の藩都、陣屋町)に繋がる乳井通りや青森宿に繋がる大豆坂通りの分岐点として重要視されました。又、津軽寧親の命により平野家が本陣職を担っています。弘前は弘前藩の藩庁と藩主津軽家の居館が設けられた弘前城の城下町として発展し多くの家臣達の一大消費地、多くの神社仏閣が集められた事での文化的の中心地となり、現在でも弘前城(国指定重要文化財)や、藩主の菩提寺である長勝寺(弘前城の裏鬼門鎮護)>、祈願所である最勝院(弘前城の鬼門鎮護)、弘前東照宮革秀寺などの社寺や重要伝統的建造物群保存地区に選定されている仲町(武家町)の町並みなどが残されています。油川宿が羽州街道の最終地点で、ここで奥州街道と合流します。

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羽州街道(青森県内)のルート
碇ヶ関宿-大鰐宿-弘前宿-藤崎宿-浪岡宿-新城宿-油川宿

羽州街道(青森県)の見所
碇ヶ関関所(津軽三大関所)
碇ヶ関関所
古懸不動尊
古懸不動尊
大円寺
大円寺
弘前城(国指定史跡)
弘前城
浪岡城(国指定史跡)
浪岡城


奥州街道
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藤崎宿
羽州街道
弘前城の城下町
大鰐温泉
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碇ヶ関宿
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