弘前東照宮

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概要・歴史・観光・見所
弘前東照宮概要: 弘前東照宮の創建は江戸時代初期の元和3年(1617)弘前藩2代藩主津軽信枚が日光東照宮(東照大権現:徳川家康)の分霊を弘前城内に勧請したのが始まりと伝えれています。信枚の正室満天姫は家康の養女だった事から他の大名に先駆けて東照宮を勧請し徳川家と縁を強化し津軽家の安泰を図ったと思われます。満天姫は徳川家康の異父弟である松平康元の娘で当初は福島正則の養嗣子福島正之の正室となっていましたが、その後、離縁して徳川家に戻され家康の養女として津軽家に嫁ぎました。一方、信枚も石田三成の娘である辰姫を正室としていましたが、側室に降格させ満天姫を正室として迎えました。弘前城は陰陽五行や四神相応の思想に基づいて築城された事から寛永元年(1624)に弘前城から見て東方である現在地に「東方」を暗示させる東照宮を遷座しています。弘前藩では東照宮を崇敬庇護し天台宗薬王院を筆頭に社僧6院(後12院)と神職2家を配し、社領200石を安堵、社殿の営繕工事は藩費で賄っています。明治時代に入り弘前藩が廃藩になると庇護者を失い一時衰退しますが住民達の請願により明治12年(1879)に郷社となり明治14年(1881)には県社に列しています。現在の本殿は寛永5年(1628)に建立されたもので桁行3間、梁間3間、入母屋、妻入、元柿葺き、向拝1間、軒唐破風付き、江戸時代初期に建てられた神社本殿建築として貴重な存在で棟札3枚(延享5年:1748年・安永7年:1778年・寛政4年:1792年)と共に昭和28年(1953)に国指定重要文化財に指定されています。又、日光東照宮からみて北方には弘前東照宮の他、仙台東照宮、函館東照宮、出羽三山東照宮があります。
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