弘前市新寺町: 最勝院

  青森県歴史観光案内所弘前市:歴史・観光・見所>最勝院(新寺町)

概要・歴史・観光・見所
最勝院(弘前市)概要: 金剛山光明寺最勝院の創建は天文元年(1611)弘信僧都によって開かれたのが始まりと伝えられています。寺号は密教色が強い仏教経典「金光明最勝王経」に因んだもので本尊金剛界大日如来をはじめ、数多くの仏像が安置され、当初から津軽を代表する霊場として信仰の対象となっていました。開山当時は堀越城の城下だった萩野にありましたが慶長14年(1609)、弘前藩初代藩主津軽為信が弘前城築城した際、日頃から帰依していた宥観(高野山の高僧)を召還し弘前城の鬼門(北東方向)に当る現在地に最勝院を移しました。弘前城は陰陽五行、四神相応に対応して縄張りされた為、最勝院は弘前城の鬼門鎮護の寺院として歴代の弘前藩主津軽家の祈願所として庇護され、弘前八幡宮別当職(弘前八幡宮以外にも熊野宮や白山権現などの祭祀も取り仕切っていたとされます。)となり寺領300石が安堵されました。その後、12ヶ寺の塔頭寺院を擁するなど寺運も隆盛し、領内の寺社総取締(僧録)、真言宗五ヶ寺(最勝院・百澤寺:岩木山神社国上寺・橋雲寺・久渡寺)の筆頭の格式も備えていました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により弘前八幡宮から分離し、明治3年(1870)に現在である旧大円寺境内(新寺町)に移されました(大円寺は大鰐温泉にあった高伯寺の境内に移転)。堂宇は旧大円寺の建物を利用し特に五重塔は3代藩主津軽信義の命で明暦2年(1656)から寛文7年(1667)にかけて建てられたもので総高31.2m、桁行3間、梁間3間、5層、宝形造、銅板葺き、全国的に見ても最北に位置し明治時代には「實ニ東北地方第一ノ美塔ナリ」と評されています。護摩堂は旧大圓寺の本堂だった建物で、大円寺の鎮守社だった八坂神社の本地仏である牛頭天王尊(明和9年:1772年奉納)が神仏分離により当寺に遷され護摩堂の本尊として祀られています。仁王門の金剛力士像は岩木山百澤寺に安置されていましたが、神仏分離により岩木山神社だけが残り百澤寺が廃寺となった為、最勝院の境内に遷されました。最勝院五重塔は旧伏鉢一箇分(銘:建立寛文六年五月大吉□日)と旧露盤一箇と共に明治41年(1908)に国指定重要文化財に指定されています。又、境内には五重塔の他、旧大円寺本堂である護摩堂や六角堂、旧仁王門など古建築も多く、牛頭天王尊像、五智如来像、猫突不動明王像なども大円寺から継承しています。東北三十六不動尊第15番札所、北国八十八箇所第59番札所、津軽八十八箇所第49番札所、津軽弘法大師霊場第1番、 津軽一代様(卯年)。宗派:真言宗智山派。本尊:金剛界大日如来。
スポンサーリンク

最勝院:写真


最勝院 最勝院 最勝院 最勝院
最勝院 最勝院 最勝院 最勝院


青森県(ホーム)

スポンサーリンク

最勝院(弘前市・寺院):周辺・一覧

その他:周辺・一覧

スポンサーリンク

※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「青森県歴史観光案内所」は「青森県の歴史」、「羽州街道」、「奥州街道」、「郷土資料辞典−青森県」、「日本の城下町−東北(一)」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」、を参考にさせていただいています。