藤島宿(十和田市)概要: 藤島宿は比較的小さな宿場町で隣接する伝法寺宿と半月交代で継立業務を行っていたそうです。市川とも呼ばれた奥入瀬川(奥入瀬川水系の本流、2級河川、旧名:相坂川)を控え、川瀬には船場が設けられ両岸に綱を張り手繰り寄せる「繰り舟」があったそうです。明治9年(1876)には明治天皇の巡幸の際に休憩に利用され新たに御幸橋が設けられました。案内板によると「明治9年7月、明治天皇御巡幸の砌りに、青森県で当時相坂川には橋が無く繰り船の渡しであったため急に架橋をすることとなり、上北郡七戸(現七戸町)の工藤轍郎翁に「御通賛道路掛」を命ずるとともに「奥入瀬架橋取扱専務申付候事」という厳めしい辞令が交付され、6月6日大急ぎで架橋に着手し無事7月12日の陛下御通御に間に合ったことを記念し、「御幸橋」と命名したものである。」とあります。道路が拡幅された為か?当時の宿場町と思われる遺構や町並みは殆ど感じられません。
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