今別宿概要: 今別宿は北前船の寄港地や蝦夷地との交流の拠点として重要視され津軽九浦(青森湊・蟹田湊・鯵ヶ沢湊・深浦湊・十三湊・今別湊・碇ヶ関関所・大間越関所・野内関所)の1つに数えられていました。特に三厩宿が開かれる以前は松前藩の参勤交代の祭の上陸地だった為、比較的早くから整備され、弘前藩(本城:弘前城)では町奉行所や御山奉行所(周辺は良質な檜材の産出地だった事から藩で管理運営を行い今別湊から各地に搬送された)を設置しています。本覚寺や正行寺、高野山観音堂、今別八幡宮など社寺も多く文化的にも発展し妓館もあったとされます。隣接する三厩湊に拠点が移り、寛保年間(1741〜1744年)の大津波により港湾が大破すると衰微し家屋も60前後になったそうです。今別八幡宮の創建は不詳ですが永禄3年(1560)に北畠具運により勧請されたのが始まりとされ明暦4年(1658)に越前出身の山岸屋太兵衛が奉納した石造狛犬(1対)と万治2年(1659)、同じく越前出身の上林武兵衛が奉納した石造狛犬(1対)が今別町指定文化財に指定されています。これらの遺物は当時の今別湊から遠く越前の国まで交流があった事を示すもので海上交通史上貴重な文化財と言えます。
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