見入山観音堂(深浦町)概要: 見入山観音堂は青森県西津軽郡深浦町大字追良瀬初瀬山草分に境内を構えている古義真言宗の寺院です。見入山観音堂の創建は不詳ですが伝承によると智証大師(智證大師:平安時代の天台宗の高僧、入唐八家)によって開かれたのが始まりとされ、南北朝時代の康永3年(1344)、藤原氏家が大檀那となり堂宇を再建し行円和尚(大和国宇多郡神願寺住僧)を招き中興開山したと伝えられています。
その後、無住となり衰微しましたが円覚寺の管理下に入り境内は修験僧の修験の場として整備され「飛び地境内」などと呼ばれました。
明和8年(1771)に円覚寺の永慶法印が弘前藩7代藩主津軽信寧の帰依を受け再興し独立、寺号を善寿院に改称し、修験道場として発展、歴代弘前藩(藩庁:弘前城)藩主にも崇敬庇護され代参が行われました。
明治時代初頭に発令された神仏分離令と修験道廃止令により明治7年(1874)に善寿院が廃寺となり観音堂として再び円覚寺の管理下に入りました(現在でも参道正面には鳥居が残され神仏習合時代の名残が見られます)。
大正11年(1922)の火災により多くの堂宇や寺宝、記録などが焼失、現在の見入山観音堂の建物は大正13年(1923)に再建されたもので、崖地を利用にした懸け造り(傾斜地に建てられる建築工法の1つで、建物が斜面や水面から張り出す為、多くの柱や梁で床を支える独特の外観が見られる。)、入母屋、正面軒唐破風、鉄板葺き、平入、桁行3間、張間2間、外壁は真壁造り板張り、格天井には梵字、霊場の雰囲気を感じることが出来ます。
境内には薬師如来、毘沙門天、愛染明王、弁財天、だき尼天、不動明王(胎内くぐり)、十二神将、地蔵菩薩、吉祥天の9宇(御堂は何れも四尺四面)があり創建は不詳ですが明和8年(1771)、永慶により再建されています。見入山観音堂(大悲閣)は貴重な事から昭和49年(1974)に深浦町指定名勝に指定されています。
津軽三十三観音霊場九番札所(本尊:如意輪観世音菩薩・ご詠歌:深山路や 檜原松原 分け行けば 山も誓いも 深き谷川)として信仰を集めています。山号:見入山。宗派:古義真言宗。本尊:如意輪観世音菩薩。
懸造を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-深浦町教育委員会
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