賽の河原(深浦町)概要: 森山海岸のガンガラ穴の上ある賽の河原の創建は下北半島にある恐山や仏ヶ浦、五所川原市金木町の川倉賽の河原(地蔵)を開いた慈覚大師円仁によって開かれたのが始まりとされます。
賽の河原には数多くの伝承や、伝説が伝えられ ○積んだ石を崩すと次ぎの日には元に戻っている。それは未婚で死んだ霊魂が積み直しているからだ。 ○積んだ石を海に投げると次ぎの日は海が荒れる。 ○ガンガラ穴の天井の雫は水子の涙だと言われている。 ○賽の河原に積まれた石の中に血の付いた石がある。それは子供が石を積むとき手の皮が破けた為。 ○8月7日の夜は訪れてはいけない。などがあります。
例祭は毎年8月23・24日の両日でイタコの口寄せや出店が出展し、供養すると同時に一年分の供物を整理する風習が残されています。
青森県内には賽の河原の信仰(子供が幼少時に死ぬと親不孝の罪により成仏出来ず、三途の川で足止めとなり、唯一の成仏の方法が両親に対して罪を償う為に川原の石を積み上げて供養塔を築くことですが、完成に近づくと何処からともなく鬼が現れ供養塔を崩す為、決して成仏出来ないとされます。
ただし、地蔵菩薩を強く信仰すると、地蔵菩薩が出現し子供達を冥土の世界に導いてくれると信仰されています。その為、賽の河原には小石で積み上げた供養塔や地蔵尊が建立されている例が多いとされます。)が根強く残っており当地もその名残とされます。賽の河原は当時の民間信仰が継承する貴重な地として昭和51年(1976)に深浦町指定史跡に指定されています。
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