深浦町: 円覚寺

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概要・歴史・観光・見所
円覚寺(深浦町)概要: 円覚寺の創建は大同2年(807)、征夷大将軍である坂上田村麻呂が東夷東征で遠征してきた際、当地を拠点とし蝦夷を平定、戦が終わると観音堂を造営し自らの持仏(影顕石守仏)と聖徳太子が彫刻したとされる十一面観音像(秘仏、33年毎に御開帳)を安置したのが始まりと伝えられています。貞観10年(868)に円覚法印(白山を開山した泰澄大徳の高弟、浄定の末弟)が全国の霊山を巡錫しながら当地を訪れ観音堂を再興、以後、修験色の強い寺院として発展しました。歴代領主から庇護され康正3年(1457)に藤原氏家、永正15年(1518)には葛西頼清が堂宇の再建が行われ、薬師堂に安置されている厨子は嘉応年間(1169〜1170年)に奥州平泉の藤原基衡(奥州藤原家2代当主、鎮守府将)が寄進したと伝えられています。ただし、厨子(入母屋、板葺き、白木造、純唐様一間厨子)は永正3年(1506)に飛騨の匠によって建立されたとの伝承や、工法、意匠などから室町時代前期に建てられたと推定され、青森県最古の厨子建築として大変貴重である事から昭和49年(1974)に国指定重要文化財に指定されています。江戸時代に入ると弘前藩(藩庁:弘前城)歴代藩主から祈願所として庇護され特に、初代津軽為信は大日如来尊像を寄進、寛永2年(1625)には2代津軽信牧が堂宇を再建、寛文7年(1667)と元禄10年(1700)に4代津軽信政が堂宇の再建を行っています。又、深浦湊は寛永12年(1635)に青森湊・十三湊・鯵ヶ沢湊と共に弘前藩の四浦に指定された事で藩の庇護の下飛躍的に発展、それに伴い円覚寺が湊に近接した事もあり、海運業や漁業関係者から「澗口観音(湊を司り航海安全・豊漁の守護神)」として信仰され豊漁祈願や海中安全祈願などの船絵馬が数多く奉納されています。現在でも円覚寺には全国最古の船絵馬や北前型弁財船絵馬など106点が海上信仰史料として所有しており「円覚寺奉納海上信仰資料」として昭和56年(1981)に国指定重要有形民俗文化財に指定されています。又、円覚寺山門近くに立っている"円覚寺の竜灯杉"は暴風の際、船上で髷を切って祈願すると杉が光輝き船を湊まで導いてくれるとして船乗りから信仰の対象となっていた杉で、実際髷を切って無事湊まで戻る事が出来たら、その髷を額に入れ円覚寺に奉納する風習があったそうです。円覚寺の竜灯杉は平成5年(1993)に深浦町指定天然記念物に指定されています。円覚寺の寺宝である青森県内最古(至徳2年:1385年)の鰐口と鎌倉時代に制作された絹本著色聖宝僧正像、宝篋印塔は青森県重宝に、円覚寺奉納「菊」絵図は深浦町指定文化財に指定されています。現在の円覚寺本堂は大正9年(1920)に深浦出身の船大工によって再建されたもので入母屋、銅板葺、平入、正面千鳥破風、正面3間唐破風向拝付、寛永2年と元禄13年に再建時の古材も一部利用されています。山門も本堂と同時期に再建されたもので入母屋、銅板葺、三間三戸、八脚楼門、内部には京都出身の仏師吉田源之丞が明和5年(1768)に彫刻した仁王像が安置されています。津軽三十三観音霊場第10番札所、津軽三十三観音霊場第9番朱印所、津軽弘法大師霊場12番札所、北国八十八ヶ所霊場第60番。宗派:真言宗醍醐派。本尊:十一面観音。
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円覚寺:写真


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