八戸市: 櫛引八幡宮

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概要・歴史・観光・見所
櫛引八幡宮(八戸市)概要: 櫛引八幡宮の創建は建久2年(1191)、南部家の祖とされる南部光行が糠部5郡(八戸・三戸・下北・鹿角・下北)の領主となった際、家臣である津島平次郎を使わせて甲斐南部郷の八幡宮御神体を勧請したのが始まりと伝えられています(この時は六戸の瀧ノ沢村に仮宮に遷座し、貞応元年:1222年に大同年間:806〜810年に坂上田村麻呂が勧請した八幡宮の小祠があった現在地に再遷座したとも云われています)。その後衰退しましたが、建武元年(1334)南部師行が糠部郡の郡代となり根城を築い際、櫛引八幡宮を再興し社殿を再建、以降、根城南部家代々の祈願所として崇敬庇護されました。師行の後裔である根城南部家が衰微すると三戸南部家が台頭し江戸時代に入ると盛岡藩を立藩、本拠を三戸城から盛岡城に移しても関係が続き社領1030石が安堵されました。盛岡藩内では最高位にあたり、寛文4年(1664)に八戸藩が立藩した後も境内だけは盛岡藩の飛地として認められ藩の総鎮守、南部領一之宮として歴代藩主から崇敬庇護されました。古くから神仏習合し甲斐から勧請した際、供奉してきた宥鑁が別当寺院である普門院を創建、南部家の庇護の下寺運も隆盛し、最盛期には坂本坊・本覚坊・竹内坊・藤本坊・桜林坊・吉水坊を擁し、別当は八幡氏、赤沢氏、小笠原氏と名称を変えながら櫛引八幡宮の祭祀を司りました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、郷社に列しました。社宝である大鎧は5領ありその内の赤糸威鎧兜大袖付(別名菊一文字の鎧:鎌倉時代作)と白糸威褄取鎧兜大袖付(卯の花威:南北朝時代作)は国宝に指定され残る3領も国指定重要文化財に指定されています。現在の本殿は慶安元年(1648)に再建されたもので三間社流造、銅板葺、彫刻や木組など凝った造りになっていて極彩色で彩られています。長床は櫛引八幡宮の拝殿として建てられたもので、入母屋、銅板葺、平入、桁行7間(13.9m)、梁間3間(5.9m)、正面1間向拝付。南門は四脚門、切妻造、銅板葺。慶安元年(1648)に再建された本殿、旧拝殿、南門、末社神明宮本殿、末社春日社本殿が平成5年(1993)に国指定重要文化財に指定されています。例祭: 旧8月14・15・16日 。祭神:八幡大神(誉田別命)。

櫛引八幡宮の文化財
 ・ 赤糸威鎧兜、大袖付 附:唐櫃−国宝
 ・ 白糸威褄取鎧兜、大袖付 附:唐櫃−国宝
 ・ 櫛引八幡宮本殿 附鰐−慶安元年−三間社流造−国指定重要文化財
 ・ 旧櫛引八幡宮拝殿−慶安元年−七×三間−国指定重要文化財
 ・ 末社神明宮本殿−慶安元年−一間社流造−国指定重要文化財
 ・ 末社春日社本殿−慶安元年−一間社春日造−国指定重要文化財
 ・ 櫛引八幡宮南門−慶安元年−櫛引八幡宮四脚門−国指定重要文化財
 ・ 紫糸威肩白浅黄鎧 兜、大袖付 − 国指定重要文化財
 ・ 白糸威肩赤胴丸(唐櫃入)兜、大袖付 − 国指定重要文化財
 ・ 兜 浅黄糸威肩赤大袖二枚付 − 国指定重要文化財

櫛引八幡宮
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