八戸市・歴史・観光

  青森県歴史観光案内所>八戸市
青森県の見所
 ・ 弘前市
 ・ 黒石市
 ・ 八戸市
 ・ 七戸町
 ・ 五戸町
 ・ 五所川原市
 ・ 平川市
 ・ つがる市
 ・ 三戸町
 ・ 青森市
 ・ 深浦町
 ・ 野辺地町
 ・ 鯵ヶ沢町
 ・ 金木町
 ・ 南部町
 ・ 十和田市
 ・ 浪岡町
 ・ むつ市
 ・ 青森県:温泉
 ・ 青森県:寺院
 ・ 青森県:神社
 ・ 青森県:民家
 ・ 青森県:洋館
 ・ 青森県:城郭
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
八戸市・歴史・観光・見所
八戸市概要: 八戸市は古くから開けていた地域で中居遺跡(縄文時代晩期:植物性遺物)と一王寺遺跡(縄文前期−晩期:円筒土器)、堀田遺跡(縄文時代の住居跡から宋銭が見つかった為ミネルヴァ論争に発展した。)の3つの遺跡で構成されている是川遺跡では様々な出土品が発掘され中でも「腕組する土偶」や「合掌する土偶」など個性のある土偶も見ることが出来ます。建武元年(1334)南部師行が甲斐国から下向し根城を築くと根城南部氏として南朝の有力武将として東北地方北部に大きな影響力を与えました。南朝が衰退し南北が統一されると根城南部氏の勢力も限定的なものとなり、戦国時代には三戸南部氏に従属するようになります。江戸時代に入ると南部藩に属しましたが、今だ根城南部氏は半独立勢力として影響力を効しており寛永4年(1627)に遠野(岩手県遠野市)に移封となり根城は廃城となり、完全に三戸(宗家)南部氏の家臣となっています。八戸市周辺は南部藩直轄となり新たに八戸城の改修と城下町が整備され当地方の行政、軍事、経済の中心に位置づけられました。寛文4年(1664)、南部宗家の家督争いにより南部直房が盛岡藩から2万石が分知され八戸藩を立藩、八戸城(八戸南部氏は城持大名ではなかった為、事実上陣屋構)には藩庁と藩主居館が設けられ城下町は藩都として繁栄し今日見られる八戸市の基礎となりました。明治4年(1871)に八戸藩が廃藩になると八戸県が発足しています。
八戸市
八戸市:町並み 八戸市:町並み 八戸市:町並み 八戸市:町並み
八戸市:町並み 八戸市:町並み 八戸市:町並み 八戸市:町並み
八戸市・観光・見所
清水寺
清水寺
清水寺
大慈寺
大慈寺
大慈寺
南宗寺
南宗寺
南宗寺
対泉院
対泉院
対泉院
大慈寺
大慈寺
大慈寺
櫛引八幡宮
櫛引八幡宮
櫛引八幡宮
新羅神社
長者山新羅神社
長者山新羅神社
小田八幡宮
小田八幡宮
小田八幡宮
おがみ神社
おがみ神社
おがみ神社
三八城神社
三八城神社
三八城神社
八戸小学校
旧八戸小学校講堂
旧八戸小学校
八戸聖教会
八戸聖ルカ教会
八戸聖ルカ教会
商業銀行
旧八戸商業銀行
旧八戸商業銀行
河内屋橋本
旧河内屋橋本合名会社
河内屋橋本会社
更上閣
更上閣
更上閣
山勝商店
山勝商店
山勝商店
八戸城
八戸城
八戸城
根城
根城
根城
種差海岸
種差海岸
種差海岸
蕪島
蕪島
蕪島
蕪島神社
蕪島神社
蕪島神社
是川遺跡
是川遺跡
是川遺跡
新むつ旅館
新むつ旅館
新むつ旅館
弁慶石
弁慶石
弁慶石
八戸消防団
八戸消防団第三分団所
八戸消防団
浄生寺
浄生寺
浄生寺
普賢院
普賢院
普賢院
来迎寺
来迎寺
来迎寺
長七谷地
長七谷地貝塚
長七谷地貝塚
 
白
 
青森県:歴史・観光

 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「青森県歴史観光案内所」は「青森県の歴史」、「羽州街道」、「奥州街道」、「郷土資料辞典−青森県」、「日本の城下町−東北(一)」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」、を参考にさせていただいています。