三戸城
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歴史・観光・見所
三戸城概要:
三戸城
は中世南部氏本家の居城だった城です。南部氏は甲斐源氏の一族で当初は現在の
山梨県
南部町
周辺を領していましたが奥州合戦の功により青森県から岩手県にかけての糠部郡一帯を与えられました。当初は
聖寿寺館
に居を構えていましたが、天文8年(1539)家臣による放火で聖寿寺館が焼失し新たに三戸城を築き居城を移ったと考えられています。三戸城は標高130mの独立丘陵に築城された連郭式山城で両側には馬淵川と熊原川が外堀に見立てられ、両川が浸食した岩壁は天然の要害を呈していました。大きさは南東が400m、西南が1.5kmの規模を誇り九戸の乱以後の改修で大規模な石垣や三階櫓、藩庁などが設けられました。南部氏は豊臣秀吉による小田原の陣への参陣や奥州仕置きの随行、九戸の乱の平定などで功を上げ近代大名としての基礎を固めましたが、津軽氏の台頭などで領地を大きく南側に有するようになります。その為、本城を
盛岡城
(
岩手県
・
盛岡市
)と定め寛永10年(1633)に藩庁を移すと三戸城には城代を置き、貞享年間(1684〜87)からは麓に代官所を設け代官支配となりました。現在の三戸城跡には明治時代勧請された
糠部神社
や昭和42年に「温故館」という模擬天守が築かれ、平成元年には綱御門が復元されるなど城山公園として整備されています。又、遺構として搦手門が
法泉寺
の山門として、表門が
竜川寺
の山門として、代官所門が
観福寺
の山門として、それぞれ移築されています。
三戸城
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