是川遺跡(八戸市)概要: 是川遺跡は八戸市南東部の新井田川沿いの台地(標高10〜30m程度)に位置し約245000uに広がる縄文時代の遺跡群の総称で大きく中居遺跡(縄文時代晩期初頭:約45000u、特殊泥炭層から植物性遺物や赤漆塗りの漆器、土坑墓からは赤色顔料がまかれた人骨)と、
一王寺遺跡(縄文前期−晩期:約189000u、円筒土器、貝塚からは獣骨や骨角器など、縄文時代の住居跡から宋銭が見つかった為ミネルヴァ論争に発展した。)、
堀田遺跡(縄文時代中期−後期:約1100u、円形竪穴住居址、集石遺構、弥生時代前期の籾圧痕土器、中国の宋の次代の古銭)の3つの遺跡に別れています。
大正時代から昭和初期にかけて泉山岩次郎、斐次郎氏によって約5千点に及ぶ遺物が発掘され注目されると大正15年(1926)には東北大学の長谷部言人、山内清男両氏が昭和4年(1929)には東京の大山史前学研究所がそれぞれ調査発掘され大きな成果を挙げています。
昭和32年(1957)に「是川石器時代遺跡」として国指定史跡に指定され(平成25年:2013に追加指定)、昭和37年(1962)には中居遺跡出土品633点が国指定重要文化財に指定されています(平成21年:2009年に330点追加指定)。令和3年(2021)に「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録されています。
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