金毘羅宮(野辺地町)概要: 金毘羅宮は文政5年(1822)に野辺地湊役所支配頭の熊谷秀平と野辺地の廻船問屋仙台屋安田彦兵衛など廻船問屋達が海上安全を祈願して野辺地八幡宮境内に勧請したのが始まりと伝えられています(詳細は判りませんが、社号から察すると本社である香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する金刀比羅宮から分霊が勧請されたと思われます)。本殿は一間社流造、こけら葺、平入、正面屋根に千鳥破風を設え、1間軒唐破風の向拝付、向拝柱には昇り竜や下り竜、木鼻には象と獅子、欄間には鳳凰、脇障子には中国故事などの彫刻が建物全体に施され、盛岡出身の宮大工畠山清八が手掛けています。金毘羅宮本殿は江戸時代末期の社殿本殿建築の遺構で野辺地の湊町としての歴史を象徴する建物で技術的にも優れた点が多いことから平成9年(1997)に青森県重宝に指定されています。
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