三戸大神宮概要: 三戸大神宮は青森県三戸郡三戸町大字同心町諏訪内に鎮座している神社です。三戸大神宮の創建は室町時代末期の元亀元年(1570)伊勢神宮(三重県伊勢市)の分霊を著木山山頂に勧請したのが始まりと伝えられ、江戸時代初期の寛永6年(1629)に参拝が容易な現在地(毘沙門館:盛岡藩士藤枝宮内の屋敷)に遷座しています。
歴代領主である南部氏に武運長久の祈願所として崇敬され、南部家が三戸城から九戸城(岩手県二戸市)、盛岡城(岩手県盛岡市)に移った後も信仰が続き、江戸時代中期の明和元年(1764)には奥山左衛門(南部藩御普請奉行)が藩費により社殿と神楽殿を再建し、文化9年(1826)には盛岡藩の12代藩主(南部38代)南部利済が大神輿と御紋幕を奉納しています。
三戸郷総鎮守として民衆からも広く信仰され検断役だった川村惣太郎が盛岡に三戸の惨状を伝え減税処置と市の開設を嘆願した故事から境内には市神が創建され、惣太郎が腰掛けて悩んだとされる「思案の石」に祈願すると念願成就すると伝えられています。
又、三戸大神宮祖霊社である旧熊野山廊巌寺正智院には寛永8年(1631)に24歳で死去した南部利康(27代当主南部利直の4男)の位牌(法名「龍巖薀公大禅定門霊位」と「寛永八辛夫天」「十一月廿一日」が刻まれています。)があり昭和33年(1958)に青森県重宝に指定されています。現在の三戸大神宮社殿は昭和62年(1987)に再建されたもので拝殿は切妻、銅板葺、平入、正面1間向拝、本殿は一間社、神明造、銅板葺。祭神:天照皇大神。例祭:9月13日。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由来・境内案内図)-三戸大神宮
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