羽州街道: 浪岡宿

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概要・歴史・観光・見所
浪岡宿(青森市)概要: この地は古くは浪岡氏の居城である浪岡城((国指定史跡))の城下町として発展した町です。鎌倉時代初期に奥州平泉の藤原秀衡の六男頼衡が当地に逃れ浪岡氏を称し祇園神社(現在の北中野広峰神社)、八幡神社(現在の浪岡八幡宮)、加茂神社(現在の五本松加茂神社)、春日神社(廃社)などを勧請し京都に倣った町づくりを行ったと言われています。南北朝時代に南朝の有力武将だった北畠氏が浪岡に入ると居城となる浪岡城を築城(浪岡城の築城年は諸説あり不詳。)、浪岡城は「浪岡御所」の異名を持ち長く当地方の中心として発展し北畠氏も地名から浪岡氏を称するようになります(北畠氏は藤原系浪岡氏に婿入りした説もあります)。戦国時代に入ると一族間での争いが激化し永禄5年(1562)の「川原御所の乱」により有力な一族だった川原北畠氏が滅亡すると大きく戦力が後退し、逆に台頭してきた大浦氏の侵攻により天正6年(1578)に浪岡城は落城し浪岡氏も滅亡しました。浪岡氏が滅ぶと町も荒廃しますが、江戸時代に入り羽州街道が開削されると黒石藩主が参勤交代で利用する乳井通りや青森宿までの脇道である大豆坂通りが交差する交通の要衝として町並みが整備されます。宿場内の羽州街道は枡形を何箇所を設けた特異な町並みで「浪岡の七曲り」の異名があり、寛政4年(1792)から本陣が設けられ弘前藩9代藩主津軽寧親から平野家が勤めるよう命じられ本陣職を歴任しています。

浪岡宿・町並み

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