菅江真澄: 大鰐温泉

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大鰐温泉

菅江真澄: 大鰐温泉

【菅江真澄】菅江真澄大鰐温泉を訪れたのは天明5年(1785)8月21日、前日薬師堂村に宿泊、当日は乳井村にきて、白水という湧水を飲んで、おいしかったとの感想を述べています。その後、毘沙門堂(現在に乳井神社)を参拝して、仁保井村、八幡館村、鯖石村を経て大鰐温泉に到着しています。この日は湯浴びしなかったようです。

次に菅江真澄が訪れたのは寛政8年(1796)5月17日、当日は徳下村、東光寺村、小和森村を経て大光寺村に至り大光寺城の城跡を見学、その後、元町、柏木町、高畑村、枝村、薬師堂村、乳井村を経て大鰐村に到着しています。大鰐村では蔵舘の大日如来を参拝、大日如来が祀られている御堂は御白河院の御代に東北の蝦夷が反乱した時の犠牲者の霊を慰める為に創建されたもので、当初は新岡山高伯寺と称し、境内には慶安年間(1648〜1652年)頃に弘前藩3代藩主津軽信義が再建された御堂があったと記載しています(新岡山高伯寺とは現在大鰐温泉の温泉街に境内を構える大円寺の事で、慶安3年:1650年に津軽信義が神岡山から現在地に移し、津軽家の祈願所としました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により、弘前城の城下にあった大円寺が現在地に移され、寺号を高伯寺から大円寺に改称しています。又、旧境内には弘前城の鬼門鎮守だった弘前八幡宮の別当寺院だった最勝院が入り、多くの堂宇を踏襲しています。特に最勝院五重塔は日本最北の五重塔として知られ国指定重要文化財に指定されています)。当時の大鰐温泉は大湯、山岸の湯、冷の湯、真冷の湯、おがり屋の湯、加賀助の湯、川原の湯の7つの湯げた(湯ぶね)があり、川原の湯の傍には藩主に献上する早稲(普通の稲より早く田植えをして6月15日頃に収穫)の稲田があり「おはつ田」と呼ばれていたそうです。

【古川古松軒】古川古松軒が大鰐温泉を訪れたのは天明7年(1787)7月15日、蔵舘村と大鰐村には両村とも数箇所の温泉があり、蔵舘温泉は熱く、大鰐温泉は温いとしています。又、様々な瘡に効能があるとして多くの人が入湯していたようです。

【大鰐温泉】−大鰐温泉は青森県を代表する温泉の1つで、弘前藩(藩庁:弘前城)藩主の湯治場である御仮屋が設けられ、初代藩主津軽為信は薬師如来の御導きで大鰐温泉の源泉で目を洗うと、患っていた眼病が平癒した事から霊験に感謝して「湯魂石薬師堂」を建立しています。温泉街は弘前藩主津軽家の参勤交代の道でもある羽州街道沿いにある事からも多くの旅人や商人達からも利用され大きく賑いました。

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