つがる市: 亀ヶ岡遺跡

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概要・歴史・観光・見所

亀ヶ岡遺跡(つがる市)概要: 亀ヶ岡遺跡は青森県つがる市木造亀ケ岡に位置し縄文時代晩期から終末期にかけての遺跡で、住居跡4軒、墳墓96基、集石3ヶ所、焼土45ヶ所が発見されています。

亀ヶ岡遺跡の存在が知られたのは元和8年(1623)で弘前藩(藩庁:弘前城)2代藩主津軽信枚がこの地に亀ヶ岡城を築く際、大量の土偶や瓶・壷が発見されました。

その時の様子が記載されたのが「永禄日記」で日本最初の考古学文献とされます。当時、発掘されたものは完全なものだけでも一万点にものぼったとされ、ユニークな形状から「亀ケ岡もの」として珍重され文人墨客から取引の対象となり中にはオランダにも売られるなど、乱獲を増長する結果になりました。

明治22年(1889)と明治28年(1895)に調査が行われ、さらに昭和25年(1950)に慶応大学により本格的な発掘調査が行われ遮光器土偶(目が以上に大きく、着ている服装などから宇宙服を着ているとも宇宙人を模しているとも、イヌイットのサングラスを模したものとも言われています。)をはじめ黒、朱、丹などの色彩や多趣多様な文様、形状をもった様々な遺物が発見されこの地に独自な文化が花開いた事が考えられています。

亀ヶ岡遺跡は津軽平野の西南部の丘陵先端部に位置し標高7〜18mの丘陵と湿地帯で構成される集落遺跡で高台は聖地と見られ数多くの土坑墓が発見、中には供献品や副葬品と思われる遺物も墓から見つかっています。低湿地帯は生活空間で土器や土偶、ヒスイ製の玉、加工製品など多数発見されています。何れも、当時としては縄文時代の最高傑作に類する技術的、意匠的に非常に高いもので「亀ヶ岡文化」とも呼ばれています。

中でも、国立博物館に所蔵している大型土偶はその典型で製作過程の技術の高さや、美を追求した意匠、宗教観、社会実態が分かる非常に高い価値を有する事から国指定重要文化財に指定され、歴史の教科書にも度々掲載されています。

亀ヶ岡遺跡は大変貴重な事から田小屋野貝塚と共に昭和19年(1944)に国指定史跡に指定され、令和3年(2021)に「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録されています。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-つがる市教育委員会 社会教育文化課
・ 現地案内板-つがる市教育委員会

亀ヶ岡遺跡:写真

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