高城八幡宮(下相野観音堂)概要: 高城八幡宮は青森県つがる市森田町下相野野田に鎮座している神社です。高城八幡宮は案内板によると「 寛文5年(1665)に勧請(神仏の分霊をお迎えし新たに祀ること)し、下相野観音堂と称し、旧津軽藩三十三番の札所の1つ。第十一番として信仰された。観音像は「如意輪観音像」でそれがやがで地域住民の産土神となり家内安全、五穀豊穣等の守護神として参詣されるようになった。」とあります。下相野集落は寛文2年(1662)に板屋野木村出身の嘉右衛門により開発され開かれた村で、その産土神として八幡神(誉田別尊)の分霊が勧請されたと思われます。その後開発を継承した越前国出身の盛作右衛門が延宝3年(1675)に自宅庭先に如意輪観音像を勧請し観音堂を創建しました。
下相野観音堂の信仰が広がると小規模の堂宇では支障をきたしたので元禄3年(1690)に改めて堂宇が造営され集落住民の五穀成就と家内安全の祈願所となっています。延享3年(1746)に八幡神と如意輪観世音菩薩が合祀、安政2年(1855)には飛竜大権現が合祀され飛竜宮と社号を改称しています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され(飛竜大権現は廃され、本尊である如意輪観音像は密かに持ち出され、廃仏毀釈が静まると本殿に再び安置しました)、八幡神と隣にあった高皇産霊神社と合祀し堀に囲まれていたことから高城八幡宮と社号を改称し明治6年(1873)郷社に列しました。
高城八幡宮拝殿は木造平屋建て、変形寄棟、鉄板葺き、妻入り、間口4間、奥行き5間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。本殿は一間社流造、鉄板葺き、外壁は真壁造板張り。下相野観音堂は木造平屋建て、切妻、鉄板葺き、妻入、間口2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張りペンキ仕上げ。
津軽三十三観音霊場第11番札所(札所本尊:如意輪観世音菩薩・御詠歌:のちの世を 願う心は下相野 白髪の雪の 降らぬその間に)。例祭:7月8日。祭神:誉田別尊・高皇産霊神・倉稲魂命・如意輪観世音菩薩。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(高城八幡宮由来)
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