貴船神社(菅江真澄・源義経)

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貴船神社

菅江真澄: 貴船神社(青森県青森市野内)

【菅江真澄】菅江真澄が始めて貴船神社青森県青森市)を訪れたのは天明8年(1788)7月7日、朝、浅虫温泉を出立し、「うとうまえのかけ橋」を渡り、蛇塚の浦、潜戸川、笊石の浦、浦島森などを経て貴船神社に至ります。神主に話を聞くと、「当社は山城の貴船神社(京都府京都市左京区鞍馬貴船町)の分霊を勧請し創建した神社で、境内の弁財天を祀る祠には鬼の娘である十郎姫の霊を祀ったとも、源義経の女房の旭の方の霊を祀ったとも云われています。旭の方は義経を思い追いかけて、松前(北海道松前町)に船で渡ろうとしましたが途中で息絶えて、境内で火葬され、骨は玉清水村に埋葬されたそうです。その後、塚が築かれ、朝日山安養寺常福院が墓守をしています。」と話され、境内にある神明社を参拝し、神主と共に坂を下り、鬼の娘とはどういう者ですかと訪ねると、蝦夷のように反乱を起したような家の娘のことでしょう。旭の方についてはよく判りませんと答えました。そして周囲にある「竜の口」と呼ばれる奇妙な石や、修験僧が袈裟を掛けた「けさもり」、蝦夷(じろさく)の家の跡、立石(たたみ石、わしり岬、祖母石などと呼ばれた)、網屋場(義経の旧跡)、はなくり岩(義経の船を繋いだ岩)などを見学し、野内の関所を通過しています。

【古川古松軒】古川古松軒が貴船神社を訪れたのは天明7年(1787)8月24日、巡検使の見分所の一つだったようです。当初の目的は坂上田村麻呂が創建したという大科子神社で、その傍らに貴船明神の社があったと記しています。神主に伺うと、源義経が蝦夷地に無事に渡航出来るように山城国鞍馬山(京都府京都市)から貴船明神を勧請し小さな社を設けた旧跡と語ったそうです。

【貴船神社】−貴船神社は大同2年(807)、坂上田村麻呂により創建されたという古社で、伝説によると源義経が文治5年(1189)に衣川の戦いの際に戦線を離脱して蝦夷(北海道)に渡る為、当地を訪れた際、無事に船で渡れるように安全祈願したとされます。すると義経の愛妻である浄瑠璃姫(菅江真澄の「外が浜つたい」では旭の方に当たる人物と思われます)が義経を追いかけて此処まで来たものの重病となって死没し、境内にある窪地に埋葬したと伝えられています。その後、荒廃し慶安2年(1649)に野内宿の庄屋蝦名万助が尽力して再興、元禄9年(1696)には弘前藩(藩庁:弘前城)4代藩主津軽信政により祈願所に指定され領内四社(加茂大明神、貴船大明神、広瀬宮、龍田大明神)に数えられました。古くから神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され社号を「貴船神社」に改め明治6年(1873)に村社に列し、明治42年(1909)に神饌幣帛料供進社に指定されています。

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