南部利直霊屋(三光寺)概要: 南部利直は第26代当主南部信直の長男として生まれ、烏帽子親を前田利家として元服しています。安土桃の山時代の慶長4年(1599)に第27代当主に就任、慶長5年(1600)の関が原の戦いでは東軍に与して最上義光(山形城の城主)の支援を行っています。その際、伊達領付近で和賀忠親が一揆(岩崎一揆)を起こし終始一揆の鎮圧に労力が費やされ大きな功績が挙げられませんでしたが、戦後は領地の安堵が認められ盛岡藩を立藩し初代藩主となっています(一揆は伊達政宗が扇動したとも云われています)。元和元年(1615)には盛岡城(岩手県盛岡市)を築城し本拠を三戸城から盛岡城に移し、領内の開発にも尽力しています。寛永9年(1632)に死去、享年57歳、戒名:南宗院殿月渓晴公大居士。菩提は南部家の菩提寺である三光寺に葬られましたが、元禄11年(1698)に盛岡城下にある菩提寺、東禅寺(岩手県盛岡市)に改装されています。南部利直霊屋は寛永10年(1616)頃建てられたもので桁行2間、梁間2間の宝形造、こけら葺、利康霊屋と比べると簡素ですが丸柱の採用や細かな組物、金銅の金具などを使用し格式の高さを感じます。建物全体から戦国時代を生き抜いた利直の野太さ力強さを表現しているようです。南部利直霊屋は江戸時代初期に建てられた霊屋建築の遺構として貴重な事から昭和48年(1973)に青森県重宝に指定されています。
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