菅江真澄: 巌鬼山神社

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巌鬼山神社

菅江真澄: 巌鬼山神社(青森県弘前市)

【菅江真澄】−菅江真澄が始めて巌鬼山神社(青森県弘前市)を訪れたのは寛政9年(1797)5月11日、前日の日の高いうちに十腰村に着き、早速、巌鬼山大権現(巌鬼山神社)に参拝しようとしたら、雨が降り出しそうになった為、去年休息で利用した宿で宿泊。翌日、長見筑後と名乗る神主の案内で巌鬼山大権現を参拝、大同年間(806〜810年)に創建されたと説明を受けたが、参道の大木の朽ちた根元を見ると妙に説得力があると記しています。

参拝したかどうかは不詳ですが真澄は寛政10年(1798)5月30日に、神主(ここでは十腰内観世音に仕えているとしています)である長見筑後宅で宿泊しています。

【巌鬼山神社】−菅江真澄は創建を大同年間(806〜810年)としていますが、由緒によると延暦15年(796)、古くから霊山として信仰の対象になっていた岩木山には3つ頂(岩木山 巖鬼山 鳥海山)があった事から岩木山三所大権現と呼ばれ、山頂を奥宮に対して下居宮として岩木山三所大権現の分霊が勧請されたが始まりとされます(寛政8年:1796年3月1日と寛政10年:1798年5月23日には菅江真澄も岩木山山頂を登拝しています)。そして、大同2年(807)に坂上田村麻呂が当地まで遠征し、蝦夷討伐の戦勝祈願を行い、堂宇の再建と観世音菩薩(十一面観音)を本尊として勧請したそうです。そのような経緯から当初の岩木山信仰の中心は当社でしたが、寛治5年(1091)当社を登拝口とした信者に事故が相次いで起きた事から近江国出身の花輪を名乗る修験者が山中に籠り岩木山三所大権現に祈りを捧げると、ここから百の沢を越えた所に境内を移すようにとの神託が降り、現在の岩木山神社(百澤寺)が創建し信仰の中心が移りました。その後の当社がどうなったのかは不詳ですが、文安5年(1446)に山火事により社殿が焼失している事から、岩木山の登拝口の1つとして信仰が維持されていたと思われます。寛正4年(1463)に長見孫太夫によって社殿が再建(菅江真澄も長見筑後と名乗る神主から案内されている事から代々長見家が祭祀を司ったと思われます)、慶長2年(1597)には津軽為信が巌鬼山観音院を修復(改築?)しましたが元禄元年(1688)には火災により焼失し、これにより一時百澤寺(岩木山神社)に併合されたと思われます。その後、氏子の懇願により再興し元禄4年(1692)に弘前藩4代藩主津軽信政が堂宇の再建を行っています。明治時代まで巌鬼山西方寺観音院十腰内観音堂と呼ばれていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により、仏教色が一掃され、新たに大山祇神の分霊を祭神として勧請し社号を「巌鬼山神社」に改め明治6年(1876)に村社に列しています。祭神:大山祇神。津軽三十三観音霊場第5番札所。

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