浅虫温泉:歴史・観光・見所

  青森県:歴史・観光・見所青森県の温泉(浅虫・恐山・大鰐・温湯)>浅虫温泉(青森県青森市)
浅虫温泉(青森県青森市・観光):概要 浅虫温泉案内板によると「 浅虫温泉は平安時代の終わりごろ浄土宗の開祖円光大師が奥州巡教の折傷ついた羚羊が湯あみするのを見て発見されたと伝えられています。其の地名は嘗て住民が織布の麻を蒸していたため麻蒸と呼ばれていました。しかし、火難を怖れ火に縁のある文字を嫌いその後浅虫になったと言われております。」とあります。浅虫温泉開湯には他の説もあり、貞観18年(876)に円仁が発見したのが始まりとされ、その後は麻を蒸すことに利用されていましたが文治6年(1190)に法然がこの地を訪れ湯治の効能を広めたと伝えられています。江戸時代に入ると奥州街道沿い町のとして発展し旅人や商人などで賑ったとされ、弘前藩主津軽家も浅虫温泉に本陣を設け領内巡視では浅虫温泉を利用したそうです。本陣は藩主専用の「御湯殿」が設けられ2代藩主津軽信牧より「柳の湯」の名を賜ったと言われています。天明8年(1788)には江戸時代の紀行家菅江真澄も当地を訪れていて「湯は滝の湯、目の湯、柳の湯、大湯、裸湯などがあり、よく清らかに湧き」と表記し、江戸時代後期に製作された諸国温泉功能鑑(温泉番付)では「津軽浅虫の湯」として西之方前頭に格付けされており当時から広く知られていた湯治場でした。又、浅虫温泉は文人墨客も数多く訪れており竹久夢二や太宰治、 棟方志功、北畠八穂、小館善四郎、淡谷のり子、三浦雄一郎などが利用しています。特に太宰治は浅虫温泉と縁が深く、太宰が学生時代、母と末の姉が浅虫温泉で湯治していたことから、そこから学校に通った事が「思ひ出」に記されている他、名作「津軽」では太宰にとって若き日の忘れられない思い出の地として、どこかすれているような印象のある温泉地であると記しています。棟方志功も浅虫温泉を愛した1人で、眼病に効用があると聞いた志功は椿館を定宿とし湯治を兼ねて多くの作品を残し、昭和38年には観光用ポスターも手掛けています。位置的には県庁所在地である青森市街地から近い事から歓楽街としても発展し「青森の奥座敷」や「東北の熱海」の異名があり浅虫温泉駅裏手の「松の湯」と、道の駅浅虫温泉内の「ゆーさ浅虫(はだか湯)」の共同浴場があります。

浅虫温泉泉質: ナトリウム・カルシウム-硫酸塩-塩化物泉
浅虫温泉効能: リュウマチ性疾患・婦人病・動脈硬化・高血圧症・神経痛・五十肩など

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