馬場館

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馬場館:略データ
・場 所・青森県三戸郡南部町小向字馬場
・築城年・天正6年・別説:鎌倉時代
・築城者・南部信直
・城 主・馬場市右衛門、馬場軍八、馬場三之丞、馬場三十郎吉武等
・別説:横溝新五入道、会田四郎三郎
・構 造・平城
・文化財・南部町指定史跡
・指定日・昭和49年7月22日
・概 要・馬場館が何時頃築城されたのかは判りませんが、伝承によると天正6年に南部信直が築いたのが始まりとされ、南部家に仕えた馬場市右衛門が配されたと伝えられています。

資料によると馬場軍八や馬場三之丞、馬場三十郎吉武等の名前も散見され、馬場一族が居館として利用していたのかも知れません。

別説としては鎌倉時代に築城され、館主は横溝新五入道や会田四郎三郎とも云われています。

上記の2名は鎌倉幕府執権北条家の被官として当地の地頭代だったとされる人物である事から馬場館は当地支配の重要な拠点だった可能性があります。

南部家の伝承や記録によると奥州合戦後に恩賞として糠部5郡が与えられた事になっているものの、客観的な資料はなく、逆に、寛元4年に北条時頼が糠部郡五戸の地頭代として三浦盛時が補任している事から、執権北条家の直轄地(得宗領)だった事が窺えます。

鎌倉幕府が倒れると、横溝新五入道領は南部師行、会田四郎三郎領は工藤三郎景資に変更されており、馬場館もどちらかが接収した可能性があります。

室町時代以降は南部家の本城だった聖寿寺館の支城として機能し、三戸城平良ヶ崎城、聖寿寺館、大向館と共に糠部五ヶ城に数えられました。

馬場館は馬淵川と猿辺川に挟まれた天然の要害で、以前は主郭の周囲には土塁と堀が巡らされ、井戸もあったと云われています。

現在は、主郭があったと推定される台地の南側に堀と土塁、虎口とが見られるのみですが、貴重な事から南部町指定史跡に指定されています。

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