菅江真澄: 温湯温泉

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温湯温泉

菅江真澄:温湯温泉(青森県黒石市)

【菅江真澄】菅江真澄が始めて温湯温泉青森県黒石市)を訪れたのは寛政7年(1795)11月8日、前日泊まった高田恵民の家から宝厳山法眼寺の梵鐘を見学し、その足で温湯温泉に入りました。温泉街には30軒程の民家が川岸に建てられ、湯船の底には小石がびっしりと敷き並べ、冬の雪囲いした湯宿が軒を連ねていました。温泉の由来は、遠い昔、脚が矢で射られた事で傷ついた1羽の鶴が数日の間、沢水に浸かりやがて平癒して飛び立った姿を見た住民が源泉が湧き出しているのを見つけたとし、当初は山仕事をしている樵など限られていましたが、病に効き目がある事が広がると「鶴はだちの湯」や「鶴の湯」などと呼ばれるようになったと記しています。又、200年程前には花山院忠長(藤原北家師実流花山院家の当主、江戸時代初期の朝臣、慶長14年1609年に後陽成天皇の女官と密通した罪(猪熊事件)により蝦夷地に流された人物。慶長19年:1614年に弘前藩に流刑地替えとなり黒石にも滞在しています。)も湯治に訪れたとし、当時は半分が冷たく、半分が温かかった為、全ての人は「ぬる湯」と呼んでいたそうです。真澄はその日、吉沢宅に宿泊し、故郷である三河(現在の愛知県東部)に大雪が降り、友人と共に朝まで語り合った夢を見て朝を迎えました。

【温湯温泉】−由来については菅江真澄が記述した通りで、現在でも共同温泉は「鶴の湯」を掲げています。明治時代の火災により多くの湯宿が焼失し、その後に建てられた明治時代や、大正時代の旅館が僅かに残され情緒を感じる温泉街の町並みを形成しています。又、温湯こけしの発祥地としても知られています。温湯こけしは大正3年(1914)に盛秀太郎が独自に考案したもので、当時のこけしの系統からは外れ自由な発想を取り入れたものとされます。大きな特徴は「作り付け」と呼ばれる頭と胴体が1本の木から製作される事で、意匠はおかっぱ頭に、弘前藩(藩庁:弘前城)の藩主だった津軽家の家紋や蝦夷地の先住民アイヌ民族の民俗文様などをモチーフにしています。温湯こけしは青森県指定伝統的工芸品に指定されています。又、温湯温泉には花山院忠長縁の史跡や伝承が伝わっており、温泉街に境内を構える温湯薬師寺は忠長が堂宇を再建し薬師如来像を安置したと伝えられています。

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