菅江真澄: 海童神社

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海童神社

海童神社(青森県板柳町)

【菅江真澄】菅江真澄海童神社を訪れたのは天明5年(1785)8月11日、亀田村、鶴田村、菖蒲川村、大相村、小幡村を経て板屋の木村至った時の事です。当時は「宝量宮」の扁額が掲げられ、掃除をしていた神主に、どの様な神様が祭られているのか訪ねると、表向きは宝量大権現ですが、実は虚空蔵菩薩を本尊として祀っていると密かに教えてもらったと記載されています。

【海童神社】−海童神社(青森県板柳町)の創建は文禄2年(1593)、海童神社当時の領主津軽為信が豊臣秀吉の朝鮮出兵の際(肥前名護屋城の本陣付近に着陣したとの記録が残されています)、海上安全の祈願する為に板屋野木の船岡の地に宝量大権現を勧請し宝量宮と称したのが始まりとされます。江戸時代に入ると津軽家は徳川家に転じた事などから衰退し信仰が疎かになっていたところ、川端町の懇願により正保元年(1645)に大川(岩木川)の守護神として現在の五所川原市川端町に遷座、しかし、洪水などが続いた為、当時の板柳は舟運の拠点となった川湊であった事からも海神、水神が祀られる地としては適地と考えられ、承応元年(1653)に現在地に遷座しています。その後は藩主津軽家も祈願所として庇護し安永3年(1774)には7代藩主津軽信寧が社宝などを奉納しています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、祭神として海神である上津錦津見神、中津錦津見神、底津錦津見神の分霊が改めて勧請され明治6年(1873)に社号を海童神社に改め郷社に列し明治40年(1907)に神撰幣帛料供進指定神社に指定されています。海童神社の拝殿(大正15年:1926年建築)、本殿(奥の院・大正15年:1926年建築)、中門(唐門・大正15年:1926年建築)、神楽殿(大正15年:1926年建築)、神明宮(安政2年:1855年建築)、淡嶋宮(延享元年:1744年建築)、みこし(元々赤穂藩主浅野家が注文したものですが、元禄14年:1701年、所謂赤穂事件により御家断絶となった為、元禄15年:1702年に板柳の豪商「若狭屋」が購入し海童神社に奉納した。)、宝量宮(海堂神社表札:文禄2年:1593年当時のもの)は平成24年(2012)に板柳町指定文化財に指定されています。

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