菅江真澄: 春光山圓覚寺

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春光山圓覚寺

菅江真澄:春光山圓覚寺(青森県深浦町)

【菅江真澄】菅江真澄が始めて春光山圓覚寺青森県深浦町)を訪れたのは寛政8年(1796)7月16日、前日宿泊した深浦宿で問屋を営む里圭(屋号:竹越)の邸宅を出立、当時は「澗口観音」と呼ばれた圓覚寺を参拝しました。住民に由来を聞くと、創建は坂上田村麻呂が蝦夷を平定した頃に開かれたとし、本堂には聖徳太子が自ら彫刻した聖像が祭られています。境内の小さい坂を登った所にある小堂は飛騨の匠が棟梁として建てられたもので、中には智証禅師が彫刻したという薬師如来像が安置されています。と記しています。

次に真澄が圓覚寺に訪れたのは寛政9年(1797)2月10日には深浦町の春光山圓覚寺を訪れ「木々の芽も春の光のやまのはは花とみゆきの霧も長閑かさ」の句を残しています。

【春光山圓覚寺】−創建については菅江真澄が記していたことと同じで大同2年(807)に坂上田村麻呂が持仏(聖徳太子が彫刻した十一面観音像)を安置する為に観音堂を建てたと伝えられています。その後、貞観10年(868)に円覚法印によって本格的な寺院として整備されると、歴代領主からも帰依を受け寺領の寄進や堂宇の造営などが行われています。特に深浦湊は江戸時代に北前船の寄航地として繁栄した為、海運業者や漁業関係者から信仰が篤く、様々な舟絵馬が奉納されると共に、船乗りが船上で髷を切り圓覚寺に奉納すると安全航海出来ると信じられてきました(円覚寺奉納海上信仰資料=国指定重要有形民俗文化財)。真澄が見た飛騨の匠が建てた小堂は工法や意匠などから青森県最古、室町時代前期の厨子建築として国指定重要文化財に指定されています。津軽三十三観音霊場第10番札所。

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