大石神ピラミッド(十和田湖・新郷村)概要: 大石神ピラミッドは新郷村が制作した案内板には竹内文書の1部を要約されていて、それによると日本には7基のピラミッドがあり大石神ピラミッドはその1つとされています。
ここで言う"竹内文書"とはかなりいわくつきの古文書で、それを持ち込んだ竹内巨磨は自称武内宿禰の後裔と語り、今で言うオカルト新興宗教の教祖として何度か警察で取り調べを受けています。最も時代背景的には宗教弾圧とも見られます。どちらにしても竹内文書だけでピラミッドと判断するのは早計のようです。
大石神ピラミッドは一般的なピラミッドの形である四角垂の形状ではなく大石神山と呼ばれる山の中腹にある巨石群を指すようです。巨石には太陽石、方位石、星座石、鏡石などが規則正しく配置されていると説明されていますが、よほど眼力がない限り自然石が重なっているように見えます。
案内板を信じれば江戸時代末期の安政4年(1857)に大地震で文字が書かれた巨石が埋没したとされます。
大石神ピラミッド自体の存在は古くから知られていたようで、「大石神」と呼ばれていることも古代から巨石信仰の対象だったようです。古代人の信仰の一つに小高い山の山頂付近にある大石を磐座と見立奉斎する例が全国的にも散見出来、同じくピラミッドとされる秋田県鹿角市の黒マンタの山頂にはストンサークルを設けていた形跡が残されています。
ピラミッドの意味の解釈の違いかも知れませんが、古代人の山岳祭祀場と考える方が無難なようです。
|