キリストの墓(新郷村)

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概要・歴史・観光・見所

キリストの墓(十和田湖・新郷村)概要: キリストの墓は十和田湖に程近い青森県三戸郡新郷村大字戸来字野月にあります。案内板によると「 昭和10年、茨城県の磯原市(現北茨木市)から訪れた武内巨磨氏により、武内家の古文書をもとに発見されました。古文書によると、ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うしたというのです。向って右側がキリストの墓"十来塚"、向って左側が弟イスキリの墓"十代墓"と言われており、毎年キリスト祭では慰霊祭が行なわれ、ナニャドヤラの唄と踊りが奉納されます。 新郷村」とあります。

案内板以外にも、キリストは21歳から33歳まで日本の神学の修行を行い、迫害後、再来日した際には十来太郎天空と名を変え農家となり「ミユ子」を名乗る日本人女性と結婚し3人の娘をもうけたとも云われています。

当然、このキリストの墓には真偽両論あり(学術的には認められていない。)真実側は●古くは戸来(へらい)村と言っていたことから「ヘブライ」が転訛したと考えられる。●敷地の持ち主である沢口家の家紋がユダヤの紋章である五芒星(ダビデの星)に酷似している。●以前、生まれた子供を初めて屋外に出すときは額に墨で十字を書く習慣があった。

●「ナニャドヤラ」という盆踊り歌の歌詞「ナニャドヤラー、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラー」は日本語や方言でも理解出来ずヘブライ語で訳すと「お前の聖名をほめ讚えん、お前に毛人を掃蕩して、お前の聖名をほめ讚えん」となる。●方言である「アヤ」(父親)、「アパ」(母親)は、「アダム」「イブ」と酷似している。

●足がしびれた時、人差し指につばを付けて額に十字を3回切る。●伝統的な普段着がユダヤの民族衣装に似ている。●伝統的な赤ん坊の揺り篭がユダヤの揺り篭と似ている。●家で死人が出ると3年の間お盆の期間に屋敷に高い杉の木を立てて横棒を添える風習があり、あたかも十字架のようだ。などあります。

キリストの墓の否定側は●そもそも竹内氏が訪れるまでこのような伝承や伝説、文献などは存在しなかった。●村人にはキリスト教信者だけでなく隠れキリスタンも存在していなかった。●「竹内文書」自体出所不明の偽書である。などの理由が挙げられます。現在は村おこしの観光資源として考えられているようで、キリストの里伝承館が整備され実際観光客が訪れています。

又、キリスト教のメッカとされるエルサレム市とも交流があり、キリストの墓とイスキリの墓の間には友好の証として寄贈された「エルサレム・ストーン」が置かれ、除幕式の際には駐日イスラエル大使も参列しています。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-新郷村
・ 現地案内板

キリストの墓:写真

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