種里城・奈良貞親霊廟

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鰺ヶ沢町・種里城

[ 種里城 ]
案内板によると「 主水は、大永3年(1523)光信公が種里八幡宮を建立した時、初代神官に任じられる。館前、萩の館合戦において大いに奮戦してその名を挙げ、奈良姓を名のる。主水51歳の同6年、光信公病いに倒れる。この時、主水を枕辺に召し寄せ「汝冥途に先立ちて我に供養せよ」と命じたので、主水は、従容として切腹、殉死する。よって公の廟所の傍ら菅ノ尾に葬られた。(奈良家累代記)主水は応仁の頃、浪人をして奈良に閉居していた貞政の子。長ずるにおよんで親から念力の術を学び、志を立てて越後・出羽そして深浦へと下り、光信公の名声を聞いて臣下となった人。 鰺ヶ沢町教育委員会 」とあります。
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