菅江真澄: 箭根森八幡宮

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箭根森八幡宮

菅江真澄:箭根森八幡宮(青森県下北郡佐井村佐井)

【菅江真澄】菅江真澄が始めて箭根森八幡宮を訪れたのは寛政4年(1792)10月8日、前日松前(北海道松前町)から下北半島に上陸し、早速当社を訪れています。既に真澄は存在を知っていたようで、宿泊地から八幡の神が祀られている矢根社の神社に参拝しようと朝出立したと記しています。佐井村にくるとまず神明社に参拝、山伏のいる慈眼山清水寺自性院があって箭根森八幡宮の別当として祭祀を司っているとしています。地名については神社の垣根の内外や近所の庭先磯辺などに石弩(矢の根石)があるとし、由緒については前九年合戦(平安時代末期の陸奥国を中心に俘囚長である安倍氏の反乱)の折、安倍の軍を追討する為に当地まで遠征してきた源頼義が岩清水八幡(石清水八幡宮:日本三大八幡宮の一社、京都府八幡市)の分霊を勧請し鈴が森の八幡神社(磐井神社:東京都大田区入新井)を本宮に定めたのが始まりとしています。その後、鈴が森の八幡神社の神主である森田信長が当地を訪れた際は既に荒廃し「太麻たへて 神のかかみも 朽にけり まつる人なき 松のあらしや」の詩を残し、寛永元年(1624)、自性院法院賢教の霊夢に当社の祭神が立ち、荒廃している惨状を嘆いている事を告げると、賢教は御告げに従い、境内を掘り起こしてみると、八幡神を刻した鏡が出てきたので神意と悟り自宅に持ち帰り篤く信仰するようになりました。延宝2年(1674)に社殿が再興された際には鈴が森の神主も駆けつけ「たへたるも また引おこす みしめ縄 ちよ栄へ行く神のまにまに」と詠ったそうです。

【箭根森八幡宮】−箭根森八幡宮(青森県下北郡佐井村)の創建の由来は康平5年(1062)、尻屋には住民を悪さを重ねる悪鬼が支配し、偶々前九年合戦の平定の為奥州まで遠征に来ていた源頼義に住民が掃討を依頼、頼義は乱を平定後に当地まで軍を進めました。頼義は悪鬼との戦いで苦戦を強いられますが、日頃から信仰していた八幡神に助けを請うと、八幡神の化身と思われる1羽の白鳩が舞い降り、白衣を纏った武神に姿を変えました。武神は力強く箭根石を矢先に付けた神矢を放つと見事悪鬼の頭に突き刺さり勝利に導きました。頼義は神意に感謝し箭根石の産地である当地を神域と定め社殿を造営したと伝えられています。江戸時代に入ると、当地は盛岡藩領となり特に佐井村には本陣が設けられるなど重要視された為、その鎮守である箭根森八幡宮は藩主南部家から庇護され延宝2年(1674)には4代藩主南部重信によって社殿が造営されています。元禄9年(1696)には田名部代官所から例祭の神輿渡御が許可され、現在でも「箭根森八幡宮例大祭」として続けられ村最大の行事として豪華絢爛な神楽や神輿、山車が奉納されています。

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