菅江真澄: 椿神社

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椿神社

菅江真澄: 椿神社(青森県平内町)

【菅江真澄】菅江真澄が始めて椿神社(青森県東津軽郡平内町)を訪れたのは寛政7年(1795)3月26日、早朝から椿崎を見ようと出立、椿の古木などを見ながら歩いて椿明神(現在の椿神社)に至ります。由緒として次のように記載されています。文治年間(1185〜1189年)にこの浦に美しい娘が住んでいて、毎年この山から神社の社殿に使う木材を切り出していた他国の船頭と恋仲となり、結婚まで約束していました。船頭が帰国の日、娘は自分が漁師の娘であるのを恥じ、せめて、都の女性が髪をとかす際、椿油を塗り髪を輝かせている事を自分もしてみたいと懇願し、来年ここに来る際には椿の種を御土産にする事を約束しました。しかし、その船頭は次の年もその次の年も来る事がなかったので娘は、新しい女が出来たと思い、船頭を怨みながら海に身投げして命を閉じました。娘の死体が浜に上がると村人は哀れと思い、娘の為に塚を築きその上に木を植えて篤く弔いました。船頭が3年ぶりに当地に戻ってみると、娘の姿が無く、村人から事情を聞くと、血の涙を流す程に深く悲しみ、どうする事も出来なく、ただ娘の塚の周りに約束していた沢山の椿の種を蒔き、顔を付け何度も謝り続けました。その後、娘の塚の周りからは何本もの椿の芽が生え、やがて周辺一面が花で一杯になった頃、それを求めて枝を折る人が現れるようになりました。すると、決まって綺麗な女性の幽霊が現れ切らないでほしいと懇願した事から、村人や漁師は娘の祟りと思い、祠を設けて御霊を篤く祀るようになったそうです。

【椿神社】−伝説の真偽は不詳ですが天正年間(1573〜1593年)には椿崎大明神と称していたとされ、明暦年間(1655〜1657年)には椿大明神として祀られるようになったとされます。当初は鳥居と祠程度でしたが元禄11年(1698)に当時の藩主の命により社殿が造営され改めて椿宮女人神霊(伝説の娘の御霊、又は田沢村横峰嘉兵衛の女房の御霊、又は三重県鈴鹿市に鎮座する伊勢国之宮の椿大神社又は都波岐神社の祭神である猿田彦大神)が祭神、別当として日光院6世山造法印が祭祀を司る事になりました。安政2年(1855)に現在の社号である椿神社に改称、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され改めて猿田彦神(現在の祭神)が勧請され明治6年(1873)に村社に列しました。

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