大間越街道(青森県)

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大間越街道

弘前城の城下町
月 日
利用者
備 考
天明7年(1787)7月15日古川古松軒弘前城下で宿泊
寛政7年(1795)11月14日菅江真澄弘前城下の問屋を担った前田家で宿泊
寛政7年(1795)11月15日菅江真澄藩校(稽古館)を見学、24日まで弘前城下に滞在したようです
寛政8年(1796)6月1日菅江真澄先日から弘前に宿泊し、氷室のためしにより氷餅を食す
寛政9年(1797)5月17日菅江真澄弘前の中井家で宿泊、24日まで弘前に滞在し25日に出立
寛政10年(1798)4月10日菅江真澄弘前城下で宿泊、長期間滞在したようです
享和2年(1802)8月8日伊能忠敬8月9日弘前城下、三国屋吉郎右衛門宅に宿泊
嘉永5年(1852)2月29日吉田松陰大鰐温泉を経て弘前城下に到着後、宿泊
十腰内宿
月 日
利用者
備 考
寛政9年(1797)5月11日菅江真澄岩鬼山大権現に参拝
鯵ヶ沢宿
月 日
利用者
備 考
天明5年(1785)8月8日菅江真澄鯵ヶ沢宿で宿泊
寛政8年(1796)6月6日菅江真澄白八幡宮を参拝、鯵ヶ沢宿の杉浦家で宿泊
寛政8年(1796)10月23日菅江真澄鯵ヶ沢宿の寺沢家に宿泊
寛政9年(1797)5月7日菅江真澄七ツ石の雀部という酒屋で宿泊、雨が続き10日まで滞在
享和2年(1802)8月22日伊能忠敬鯵ヶ沢宿の駿河屋金九郎宅で宿泊
金井ヶ沢宿
月 日
利用者
備 考
天明5年(1785)8月6日菅江真澄金井ヶ沢宿を通過、はげしい雨に打たれた
天明5年(1785)8月7日菅江真澄川が増水の為に渡れず金井ヶ沢宿に引き返し小野家で宿泊
寛政9年(1797)5月7日菅江真澄甕杉(阿弥陀杉)を見学
深浦宿
月 日
利用者
備 考
天明5年(1785)8月4日菅江真澄深浦という港で宿泊
寛政8年(1796)7月16日菅江真澄屋号竹越という問屋、里圭家から出立、6月の上旬から1ヶ月以上深浦宿に滞在したと思われます。円覚寺などを参拝
寛政8年(1796)10月23日菅江真澄長期間深浦宿滞在し23日に暗門滝を目指し出立
寛政8年(1796)11月10日菅江真澄暗門滝を見学後再び深浦宿に来訪
寛政9年(1797)5月7日菅江真澄深浦宿を出立、昨年暮れから半年にわたり深浦宿に滞在したと思われます。
寛政10年(1798)6月10日菅江真澄里圭家は火災にあった為、若狭屋で宿泊、7月3日まで深浦宿を拠点として行動
享和2年(1802)8月24日伊能忠敬深浦宿の越後屋庄右衛門宅で宿泊
岩崎宿
月 日
利用者
備 考
天明5年(1785)8月3日菅江真澄黒崎と呼ばれる磯辺で宿泊
寛政8年(1796)7月16日菅江真澄岩崎宿で宿泊
享和2年(1802)8月25日伊能忠敬岩崎宿の兵右衛門宅で宿泊
大間越宿
月 日
利用者
備 考
天明5年(1785)8月3日菅江真澄大間越街道を利用して久保田藩から弘前藩に入り津海川を渡る。
寛政8年(1796)7月21日菅江真澄鹿踊を見学、大間越宿で宿泊
寛政8年(1796)7月22日菅江真澄笹森赤勘解由の館を見学
享和2年(1802)8月26日伊能忠敬大間越宿の彦左衛門宅で宿泊
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