岩木山神社(青森県弘前市)

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創建年宝亀11年(780)
祭  神顕国魂神・多都比姫神・宇賀能売神・大山祇神・坂上刈田麿命
格  式旧国幣小社・別表神社・津軽一宮・津軽藩総鎮守
文化財 本殿(附:棟札3枚、元禄7年、三間社流造、銅瓦葺、千鳥破風、軒唐破風向拝付、国指定重要文化財)
奥門(元禄7年、桁行1間、梁間1間、向唐門、とち葺形銅板葺、黒漆仕上げ、国指定重要文化財)
拝殿(附:棟札2枚、慶長8年、入母屋、正面千鳥破風、1間向拝付、朱塗り、国指定重要文化財)
楼門(附:棟札4枚、寛永5年、入母屋、とち葺形銅板葺、五間三戸、12脚楼門、国指定重要文化財)
瑞垣(附:棟札1枚、四周延長40間、とち葺、潜門一箇所付、国指定重要文化財)
中門(元禄7年、切妻、とち葺形銅板葺、一間一戸、四脚門、国指定重要文化財)
岩木山の登拝行事(毎年旧暦7月末日〜8月15日、「お山参詣」「ヤマガゲ」、国指定無形民俗文化財)
岩木山神社社務所(弘化2年、木造平屋建、入母屋、茅葺、平入、403.20u、青森県重宝)
釣燈籠(永正14年、金銅製、六角の釣燈龍、高さ36.5cm、胴回り60.5cm、青森県重宝)
日本刀(銘:相州住綱廣、主越中守信繁作之、長さ79.0cm、反り3.3cm、青森県重宝)
木造舞楽面(鎌倉〜南北朝、「二の舞腫面」・「散手」・「抜頭」、青森県重宝)
神  事八朔祭:旧暦8月1日
場  所青森県弘前市百沢
備  考岩木山青森県弘前市)は古くから霊山として知られ古代の人々が自然崇拝とする信仰の山だったと思われます。岩木山神社の社伝によると宝亀11年(780)に山頂に社殿が設けられ神社としての体裁が整えられ、延暦19年(800)には坂上田村麻呂が社殿を再建し、麓の十腰内村に下居宮を設けたと伝えられています。ただし、坂上田村麻呂の行動範囲は現在の客観的な資料の中では岩手県盛岡市の志波城が最北端である事から上記の伝承は伝説の域を出ません。寛治5年(1091)に十腰内村の下居宮を百沢村に遷座し、仏教色が強くなると百沢寺と呼ばれ岩木山信仰の中心的な存在となります。由来では戦国時代末期の天正17年(1589)に岩木山が大噴火を起こし、百沢寺(岩木山神社)の建物が焼失したとありますが、気象庁による「岩木山 有史以降の火山活動」の一覧表を見ると、同年に噴火活動の記録が無く、元亀2年(1571)の2月15〜17日に山頂で発光現象が見られ 、慶長5年(1600)に中規模の水蒸気噴火により泥流が発生した事が記載されています。百沢寺(岩木山神社)の再建は慶長8年(1603)に弘前藩初代藩主津軽為信によって行われている事から実際の噴火は慶長5年(1600)によるものかも知れません。岩木山神社はその後、歴代弘前藩主津軽家の崇敬社として庇護され、津軽一宮や津軽藩総鎮守などと呼ばれ大きく発展しました。又、津軽家の居城である弘前城は四神相応の思想の下に縄張り築城されたとされ、岩木山神社の境内は弘前城の西方に当たる事から、西を司る白虎が宿る霊地として、拝殿千鳥破風の妻壁には白虎の彫刻が施されたとも云われています。社殿も弘前藩の技術の粋を集めた壮麗なもので、徳川家康の霊廟である日光東照宮に因み「奥日光」の別称があり多くが国指定重要文化財に指定されています。明治時代に入ると神仏分離令に従い、百沢寺は廃寺となり多くの堂宇、仏像、仏具は四散、社号を「岩木山神社」に改め国幣小社に列しています。

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