温湯温泉(黒石温泉郷)概要: 温湯温泉は次ぎのような伝説が残っています。400年以上前、神山右仲という人物が汗石川の川辺に生えている葦原に傷ついた1羽の鶴を見つけました。鶴は湯浴びを続け7日後に回復し飛び立った事から不思議に思い、近づいてみると源泉が滾々と湧き出るのを見つけたと伝えれています。以来、「鶴泉」や「鶴羽立」などと称され湯治客で賑わいました。
天正19年(1591)、この地を領した工藤治郎左右ェ門(浪岡城の城主北畠家重臣)が整備開発を行い、寛永元年(1624)には花山院忠長卿(従四位上左近衛少将:江戸時代に津軽に配された京都の公家)が入湯、その効用に絶賛し、温もりも長く保つ特徴から温湯と名づけています。
江戸時代に入ると弘前藩主も度々湯治に訪れ、享保9年(1724)には5代藩主津軽信寿が温湯温泉に来た際には法眼寺に立ち寄り「瑠璃山薬師寺」と寺号を改称しています。寛政7年(1795)には江戸時代後期の紀行家で民俗学の祖とされる菅江真澄も訪れており由来や温泉街の様子などを記録しています。
明治11年(1878)にはイギリス人女性紀行家イザベラ・バードも温湯温泉を訪れ、その時の詳しい様子を「日本奥地紀行」に記載しています。明治18年(1885)の内務省より温泉分析が行われ日本の名湯に指定され、現在も日本の名湯100選に選定されています。毎年7月下旬に行なわれる「丑湯祭り」は100年以上前から温湯温泉に伝わる伝統行事で土用の丑の日、丑の刻に温湯温泉に入ると、効能が高まり、さらに御神体である丑の木像を撫でた手で自分の患部を擦ると不思議と完治すると伝えられています。又、温湯温泉は温湯こけしの発祥地とされます。
温湯温泉の泉質: 弱食塩泉・48度C(温湯)
温湯温泉の効用: 胃腸病・リウマチ・神経痛
|