革秀寺: 茅葺屋根(本堂)

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革秀寺

革秀寺(長野県弘前市・本堂)
革秀寺(青森県弘前市)概要: 革秀寺青森県弘前市)の境内に建立されている津軽為信霊屋の内部に豊臣秀吉の木像(木造豊太閤坐像)が安置されています。この秀吉の木像は、秀吉が生前彫らせた3躯の内の1つとも云われていますが、革秀寺のものよりやや大きい寳樹院(兵庫県尼崎市:高さ23.5cm、最大幅28.5cm、最大奥行19.6cm、尼崎市指定文化財)や理智院(大阪府岬町)、豊国神社(徳島県小松島市)にも残されています。ただし、由来については諸説あるようで、寳樹院のものは秀吉が晩年造らせた側近の家臣達に配られた際、桑山重晴が拝領したものとされ、理智院は元禄元年(1592)に、秀吉が朝鮮出兵の前線基地である肥前名護城(佐賀県唐津市)に赴く際に暴風雨で妨げられた為、その風止祈祷を理智院で行い、その御礼として奉納したものとされ、豊国神社は秀吉の遺言により没後100躯の秀吉像が彫刻され、各地に建立された豊国神社の御神像として祭られたものとされます。上記の事から豊臣秀吉の晩年から没年直後には数多くの秀吉の木像が彫刻されたと思われますが、徳川家康が台頭すると徳川家の圧力や配慮から豊国神社の多くが廃社となり、秀吉の木像も失われていきました。革秀寺の木像は、実は石田三成が拝領したものとされ、慶長5年(1600)の関ケ原の戦い直後に、光成の2男である石田重成が持ち出し津軽領にもたらしたと伝えられています。

津軽家と石田家の繋がりは深く、当時の当主である津軽為信の長男津軽信建の烏帽子親は石田三成で信建は豊臣秀頼の小姓として関ケ原の合戦では大坂城に詰めていました。詳細は不詳ですが、信建は関ケ原の戦いで西軍が敗れ石田家の居城佐和山城が落城したとの報を聞いた直後に同じく秀頼の小姓だった重成を津軽に落ち延びさせたと推定されています。ここで様々な疑問が生じます。まず、関ケ原の戦いの際、西軍だったと思われる津軽信建は目立った処分を受けた形跡が無く、その後も東軍として行動した3男の津軽信枚では無く信建が津軽家の嫡男の地位を維持していた事です。通常であれば信建は何らかな処分があり、少なくとも津軽家から排斥されると思われますが、もしかしたら、徳川家とは最初から敵対しない事が密約として確立した上で大坂城に残ったのかも知れません。次に東軍から見ると最大の罪人である石田三成の次男である石田重成の後裔を弘前藩の家老として抜擢した事です。大恩ある人物の遺児を密かに逃亡させるといった逸話は全国的にもよくある話ですが、為政者も幼少者をあえて見逃す事があっても、秀頼の小姓という役職を担っていた程の人物をそのままにするとは異例中の異例と言え、それを画策した信建も処分されないのは大きな疑問です。さらに、慶長15年(1610)、弘前藩2代藩主に就任して間もない津軽為信が石田三成の娘で高台院(豊臣秀吉の正室)の養女である辰姫を正室として迎えた事も異例と言えます。豊臣家や石田家から見ると、重成を迎え入れた津軽家と接近するのは当然の成り行きですが、津軽家から見ると豊臣秀頼が健在な時に豊臣家と近接する事は徳川家から危険視される可能性が高く非常に危険な行動とも言えます。又、重成が石田家から改姓し杉山家と名乗ったものの、杉山家の墓碑(宗徳寺)には豊臣姓を刻んでいるのも疑問で、徳川家の治世でもその点は緩かったのかも知れません。

何れにしても重成から津軽領に齎された豊臣秀吉の木像は津軽家にとって信仰の対象となり本城である弘前城で祭られる事になりました。しかし、津軽為信は慶長18年(1613)に徳川家康の養女・満天姫を正室として迎え入れるなど親徳川家に転じた為、豊臣秀吉の木像は弘前城の三の丸に創建された城の鎮守社である館神社の神像(稲荷神)の裏に密かに祭られ、歴代藩主すらその存在を明らかにする事は無かったとされます。それが、明治維新後に発令された廃城令により弘前城が廃城となり、館神社が解体されると豊臣秀吉の木像が発見され、津軽為信の菩提寺である革秀寺の為信の霊屋に遷され祭られるようになりました。豊臣秀吉の木像(木造豊太閤坐像)は像高約7cm、総高約20cm、全体が極彩色で彩られ、昭和38年(1963)に弘前市指定文化財に指定されています。

革秀寺の本堂は木造平屋建て、入母屋、茅葺、平入、桁行9間、梁間8間、江戸時代初期の茅葺屋根寺院本堂建築の遺構として大変貴重な事から平成5年(1993)に国指定重要文化財に指定されています。

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