南部町: 恵光院

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概要・歴史・観光・見所

恵光院(南部町)概要: 宝珠山恵光院は青森県三戸郡南部町大字大向長谷に境内を構えている真言宗豊山派の寺院です。恵光院恵光院の創建は室町時代の元中7年(1390)に開かれたのが始まりと伝わる古寺で、本尊である長谷十一面観音像を祀っている事から長谷寺とも呼ばれてきました。別の由緒によると建徳元年(1370)、長慶天皇の弟である明尊により開かれたとされ、境内背後の高台は長慶天皇が僧侶と偽り当地まで逃れ御所を構えた場所で、天皇も当地で崩御されたと伝えられています(南部煎餅は長慶天皇が長谷寺を訪れた際、家臣である赤松助左衛門が自分の鉄兜で焼き上げ献上したのが始まりとの説があります)。

長谷寺自体は江戸時代初期に南部家が本拠を三戸城から盛岡城(岩手県盛岡市)に移した際、盛岡城下に移り、その境内跡地に長谷寺の搭頭の1つ恵光院が堂宇や寺宝などを引き継ぎました。十一面観音像は平安時代初期から中期にかけて制作されたもので一木素木造、像高166.8cm、青森県内最古の仏像として昭和33年(1958)に青森県重宝に指定されています。

恵光院は寺宝も多く永正9年(1512)に奉納された順礼札は観光上人が奥州糠部郡三十三観音霊場巡りの際納めたもので、正面上部には阿弥陀三尊の種子、その下には「奥州糠部郡三十三所順礼本願観光上人永正九暦壬申六月吉日」、「三十三番」、「長谷寺」、御詠歌が書き込まれ青森県最古の順礼札と言われています。

笈(おい)は室町時代末期頃に製作されたと推定されるもので、元々は修験僧が仏具などを運搬する為に使用する背負い式の箱として製作され、青森県内では遺存例が少ない事から貴重とされ、上記の順礼札と共に昭和33年(1958)に青森県指定有形民俗文化財に指定されています。

又、恵光院境内に隣接する長谷十一面観音堂は本尊を安置していた御堂建築で南部町指定有形文化財に指定され、奥の院に安置されている女神像(平安時代から南北朝時代に製作、像高35cm、桂材)と 観音菩薩立像(奇峯学秀作、像高38cm)は同じく南部町指定有形文化財に指定されています(※女神像は県重)。

長谷十一面観音は糠部三十三観音霊場第22番札所、七戸南部三十三観音霊場第11番札所。宗派:真言宗豊山派。本尊:十一面観音。

恵光院:写真

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