南部町(歴史)概要: 南部町は奥州南部氏の発祥の地とされる地域です。文治5年(1189)、鎌倉政権と奥州藤原氏との間で行われた奥州合戦で源頼朝に随行した南部三郎光行が恩賞により糠部郡を賜り、建久2年(1191)に現在の南部町に入部したと伝えられています。
建久3年(1192)には光行により平良ヶ崎城(南部町指定史跡)が築かれ当地の政庁が置かれます。その後、居館である聖寿寺館(当時は三戸城と呼ばれていた)が築かれ、館の周りには本三戸八幡宮(源氏の氏神である八幡神が勧請され南部家の氏神となった。)や三光寺(南部家の菩提寺)といった南部氏縁の神社仏閣が集められ各支城が防御ラインを形成しました。
南部氏はこの地に350年間留まり、現在の青森県から岩手県北部、秋田県鹿角地方を治める東北地方における有力大名として成長し、南北朝時代には南朝の武将として大きな影響力を持ちました。
天文8年(1539)家臣の放火によって聖寿寺館が焼失後は三戸城に移りましたが南部氏発祥の地として聖地化され南部利康霊屋(国指定重要文化財)や南部利直霊屋(青森県重宝)などが庇護されました。
江戸時代に入ると南部藩に属し南部町には奥州街道が開削され一里塚などが整備されました。現在の南部町は奥州南部氏の発祥の地として周辺が整備され「聖寿寺館跡」、「三光寺地区」、「本三戸八幡宮地区」が国指定史跡に指定されています。
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