恐山菩提寺(日本三大霊場・霊地・霊山)

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概要・歴史・観光・見所
恐山菩提寺(むつ市)概要: 恐山は日本三大霊地(恐山・川原毛地獄・立山)、恐山日本三大霊場(恐山・白山・立山)、日本三大霊山(比叡山・高野山・恐山)の1つに数えられています。恐山の地名の由来はアイヌ語のウッシュロ(湾)説、ウサツオロスプリ(灰の多く降る山)説などがあり、それが訛りウソリ=宇曽利=恐(おそれ)になったとも言われています。恐山菩提寺の創建は平安時代の貞観4年(862)に慈覚大師円仁(第3代天台座主・入唐八家)が"東方行程30余日の所に霊地があり地蔵尊像を安置せよ"という霊夢により東北巡錫を行い山寺立石寺(山形県山形市)を開山し、次いでこの地を訪れ恐山を開山したと伝えられています(一説には慈覚大師が魚を咥えた鵜が山を越えるのを見て恐山を見つけたとも言われています)。当初、恐山金剛寺と号して天台宗の修業道場として繁栄しましたが室町時代の康正年間(1455〜1457年)に起こった蛎崎の乱(南部氏と蛎崎氏:後の松前氏との争乱)の兵火によって焼失し一時衰退、その後、享禄3年(1530)聚覚和尚が再興し寺号を釜臥山菩提寺と改称します(聚覚和尚は大永2年:1522年、八戸根城南部家の庇護の下、恐山菩提寺の本坊となる円通寺を開山しています)。戦国時代には八戸根城南部氏(本城:根城)に庇護され、戦国時代の永禄年間(1558〜1570年)には南部政栄によって堂宇の修築と境内の整備が行われ寺運も隆盛しています。本尊は恐山を開山した慈覚大師円仁が彫刻したと伝わる地蔵菩薩像で、その脇には江戸時代初期の寛文7年(1667)に恐山を訪れたと思われる円空(現在の岐阜県出身の僧侶で、独特な風合いのある木像を彫刻しながら全国を行脚した。)が彫刻した十一面観音立像と観音菩薩半跏思惟像が安置されています。江戸時代後期の寛政4年(1792)に恐山を訪れた江戸時代の紀行家菅江真澄も円仁の地蔵菩薩や円空の仏像、境内の様子を日記「牧の冬枯れ」「奥の浦々」などに記載しています。菅江真澄は下北半島むつ市)に2年半滞在し恐山には合計5度訪れ、当時は「山の湯」と呼ばれ、霊場であると共に湯治場でもあり修験者と遊女らしき女性などがいたとされ真澄も温泉や宇曽利湖の舟遊びなどで楽しんだようです。恐山山地は宇曽利湖(恐山湖)を取り囲む釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の総称でその形状から蓮華八葉(仏が座る蓮の花の弁が8枚であることから、仏教の聖地に例えられています。)に例えられ、宇曽利湖はその火山活動で出来たカルデラ湖と言われています。恐山は1万年以上前に噴火したと言われる休火山の為、周囲では現在でも水蒸気や火山性ガスの噴出が盛んで、植物が育たなく硫黄臭と荒涼とした景観は地獄のような印象を受けます。恐山の境内は荒涼とした景観から死後の世界に例えられ、宇曽利湖の浜辺は極楽浜、正津川は三途川と称され死んだ人間は恐山に集まりやがて浄化して天に昇ると信じられています。その為、恐山の例祭には口寄と呼ばれるイタコが死者の御霊を呼び死者の話しをするといった行為が現在でも行われ、下北半島周辺の地域では一生に一度は恐山に参らなければならないとして多くの人達が集まるそうです。恐山菩提寺は田名部海辺三十三観音霊場三十三番札所に選定されています。
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恐山菩提寺:写真

恐山 恐山 恐山 恐山
恐山 恐山 恐山 恐山

恐山菩提寺:地獄めぐり

重罪地獄
恐山:重罪地獄
重罪地獄
修羅王地獄
恐山:修羅王地獄
修羅王地獄
金堀地獄
恐山:金堀地獄
金堀地獄
どうや地獄
恐山:どうや地獄
どうや地獄
無間地獄
恐山:無間地獄
無間地獄
地獄谷
恐山:地獄谷
地獄谷
みたま石
恐山:みたま石
みたま石
大王石
恐山:大王石
大王石
恐山湖
恐山:宇曽利湖
宇曽利湖
極楽ヶ浜
恐山:極楽ヶ浜
極楽ヶ浜
三途の川
恐山:三途の川
三途の川
大師説法地
恐山:大師説法地
大師説法地
大師堂
恐山:大師堂
大師堂
本堂
恐山:本堂
本堂
薬師堂
恐山:薬師堂
薬師堂
奥の院
恐山:奥の院
奥の院
山門
恐山:山門
山門
八角堂
恐山:八角堂
八角堂
塔婆堂
恐山:塔婆堂
塔婆堂
納骨塔
恐山:納骨塔
納骨塔
永代常夜燈
恐山:永代常夜燈
永代常夜燈
水子供養
恐山:水子供養御本尊
水子供養御本尊
恐山温泉
恐山温泉
恐山温泉
血の池地獄
血の池地獄
血の池地獄
塩屋地獄
塩屋地獄
塩屋地獄
座禅石
慈覚大師座禅石
慈覚大師座禅石
八葉塔
八葉塔
八葉塔
千手観音
千手観音
千手観音
無縁仏
無縁仏
無縁仏
はし塚
はし塚
はし塚


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