黒石神社

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概要・歴史・観光・見所

黒石神社概要: 黒石神社は青森県黒石市市ノ町に鎮座している神社です。黒石神社の創建は江戸時代初期の寛文2年(1662)、黒石津軽家(後の黒石藩)の祖とされる津軽信英弘前城(青森県弘前市)で死去すると黒石陣屋東南の隅に廟を建立して埋葬したのが始まりと伝えられています。

東南は裏鬼門にあたる為、弘前城と津軽家の菩提寺である長勝寺と同様な位置関係になります。

明治時代に入り黒石陣屋が廃城になると旧家臣達は藩祖の遺徳を偲び明治12年(1879)に神祭願いを県令に提出、現在地に社殿を造営して信英の御霊を遷座しています。その際、黒石陣屋の大手門近くにあった廟門を移築し江戸時代の建築物としては唯一の遺構となっています。

その後、黒石神社は郷社に列し更に明治15年(1882)には県社に昇格しています。社宝も多く御神刀と呼ばれる金梨子地牡丹紋散蒔絵衛府太刀拵(黒石藩2代藩主で弘前藩11代藩主でもあった津軽順承が黒石藩4代藩主津軽承叙に授けたもの)がが昭和49年(1974)に青森県重宝に指定されている他、藩祖信英公書状、御神刀太刀、釣燈籠2基、石燈籠2対、津軽信敏建立の石碑、藩祖信英公頌徳碑が黒石市指定文化財に指定されています。

黒石神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、鉄板葺、平入、桁行3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り板張り。本殿は入母屋、鉄板葺き、平入、正面軒唐破風、桁行3間、張間2間、外壁は真壁造り板張り、正面には「黒石神社」の社号額が掲げられています。祭神:津軽十郎左衛門信英の霊。例祭:7月22日。

黒石神社の文化財
・ 金梨子地牡丹紋散蒔絵衛府太刀拵−11代藩主津軽承叙奉納−青森県宝
・ 藩祖信英公書状−明暦2年−信英から弘前藩家老津軽百助宛−黒石市指定
・ 御神刀太刀−鎌倉中期〜後期−古備前、正垣作−黒石市指定
・ 釣燈籠−延宝2年−透六角釣燈籠−信英十三回忌に家臣奉納−黒石市指定
・ 石燈籠(2対)−2代津軽信敏と5代津軽著高が奉納−黒石市指定
・ 津軽信敏建立の石碑−寛文3年−信敏が信英の墓碑として建立−黒石市指定
・ 藩祖信英公頌徳碑−正徳元年−3代政だけが廟所前に建立−黒石市指定
・ 神門−廟門を移築、切妻、鉄板葺、一間一戸、薬医門−黒石市指定

薬医門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-黒石神社崇敬会
・ 現地案内板(境内にある文化財)-黒石市教育委員会

黒石神社:津軽信英廟門・写真

[ 付近地図:青森県黒石市 ]・[ 黒石市:歴史・観光・見所 ]
黒石神社神門とその前に置かれた石造狛犬 黒石神社拝殿とその前に置かれた木製燈篭 黒石神社拝殿右斜め前方の画像 黒石神社本殿正面外壁と社号額
黒石神社手水舎と手水鉢 黒石神社本殿手前に置かれた石燈篭 黒石神社芭蕉句碑(春も稍けしき調ふ月と梅) 黒石神社石碑

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