五所川原市金木町(歴史)概要: 金木町の歴史は古く旧石器時代の相野山遺跡では大形尖頭器が発掘され旧石器時代終末期〜縄文時代初頭の生活の一端が分かる重要な遺跡とされます。中世は安東氏や北畠氏によって支配され大永年間(1521〜1527年)には浪岡城主北畠具永が金木八幡神社を創建しています。
金山町の東側は山地で構成され江戸時代は林業によって弘前藩(藩庁:弘前城)の財政を支えていたとされ、平野部は貞享4年(1687)から藩の政策で新田開発が行われ中心部には代官所が設けられました。
以降、金木町中心部は周辺の物資の集積地として経済的に発展し明治から大正時代にかけては多くの大地主を輩出しました。太宰治の生家津島家も大地主として知られ、斜陽館は当時の大地主の生活が分かると同時に太宰治縁の史跡としても貴重なものとして国指定重要文化財に指定されています。
又、金木町には津島家の菩提寺である南台寺や太宰治が子供の頃遊んだ雲祥寺、疎開時に太宰親子が暮した新座敷など太宰治縁の史跡が点在しています。
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