弘前市: 新寺町

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概要・歴史・観光・見所

弘前市新寺町概要: 寺町は弘前城の城下町成立当初、城の東側に位置していましたが、慶安2年(1649)の大火により寺院15ヵ寺を含む多くの建物が焼失しました。

弘前藩3代藩主津軽信義は寺町移転を計画、翌年の慶安3年(1650)に現在地に寺院を移し、門前町として町割りが行われています。又、弘前市新寺町界隈は弘前城から南側に位置していた事から朱雀地として重要視されてきました。

弘前城の築城に携わった沼田面松斎と東海吉兵衛は弘前城を軍事的戦略面と、占いや霊的な要素の両立を目指し、弘前城を中心に四神相応や風水、陰陽五行説を用いて壮大な計画が練られました。唯一不足していたのが南方の守護を司る朱雀が住むという天然の水辺(池又は沼)でした。

その為、2代藩主津軽信枚は慶長17年(1612)から慶長19年(1614)の間に土淵川と寺沢川の合流地点の内側に土塁を設けて水を引き込む事で人口の南溜池を築きました。この南溜池は当然四神相応の朱雀が住む池に見立てたものですが、軍事的にも土淵川と寺沢川は弘前城の天然の外堀に見立てられていた事から、戦の際は溜池の土塁を決壊させ攻めにくくさせる事が想定されました。

慶安3年(1650)に新寺町が当地に計画されたのは、これらの考えを引き継ぐもので軍事的な要素が強く新寺町一帯が弘前城の出城のように見立てられました。現在は南溜池は埋め立てられ通り沿いも近代化した為、あまり趣きは感じられませんが、最勝院(明治維新後に大円寺境内に移転)や報恩寺など津軽家縁の寺院が多く、現在も23ヵ寺が甍を連ねています。

弘前市新寺町は「新寺構」として弘前城、長勝寺構と共に昭和27年(1952)に国指定史跡に指定されています(現在は種里城と堀越城の追加を受けて「津軽氏城跡」に名称変更しています)。

【 参考:サイト 】
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新寺町:写真

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袋宮寺
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円明寺
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