天満宮(弘前市)概要: 天満宮は青森県弘前市西茂森1丁目に鎮座している神社で、境内は弘前藩内の修験(山伏)の触頭を勤めてきた大行院のあった場所です。
大行院は慶長3年(1598)に弘前藩初代藩主津軽為信が大行院栄尊を招き南郡大根子村に祈願所として開いたのが始まりとされます。大行院栄尊は菅原道真を輩出した菅家の末裔の珍重丸から12代後裔とされ京都で修行を重ね越後の東光院の住職となっていました。
慶長4年(1599)に八幡村に移り寺領30石を安堵され、寛永2年(1625)に新寺町に移り、境内地に報恩寺が造営することになり宝暦4年(1755)に現在地(西茂森)に移ってきました。明治4年(1871)に修験廃止令が出され、廃寺に追い込められと急遽津軽家に縁がある天神様を勧請して天満宮と社号を改称しました。
この天神様は津軽家発祥の地とされる種里城(鰺ヶ沢町)の鎮守社の御神体でしたが、慶長15年(1610)に2代藩主津軽信牧が弘前城に移し、さらに元禄2年(1689)に4代藩主津軽信牧の生母久祥院が、植田村(現在の中津軽郡岩木町)の橋雲寺に寄進しました。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により橋雲寺から神式が廃される事になり天神様が大行院に遷されました。天満宮は、大行院の鎮守社の岩木神社も合祀して茂森町一帯の鎮守となり村社に列しました。
境内のシダレザクラは樹齢500年以上、樹高11m、幹周2.6m、大正9年(1920)に選定された「全国大桜番付」では18番目に番付され平成10年(1998)に青森県指定天然記念物に指定されています。
津軽一代様(干支:卯年・守り本尊:文珠菩薩)。祭神:菅原道真朝臣命、文殊菩薩、少彦名神、若木神、倉稲魂命。例祭:6月25日。
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