平川市: 神宮寺

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概要・歴史・観光・見所

神宮寺(平川市)概要: 猿賀山長命院神宮寺は青森県平川市猿賀石林に境内を構えている天台宗の寺院です。神宮寺の創建は不詳ですが古くから猿賀神社の別当となっていた為、猿賀神社と同じ様な由緒を持っています。

伝承によると延暦年間(781〜805年)坂上田村麻呂が東夷東征の際、古くから祭られていた上毛野君田道命に戦勝祈願したところ見事念願成就、感謝の意と桓武天皇の勅令により堂宇を造営し深沙大権現を安置したのが始まりと伝えられます。

猿賀神社は神仏交合し別当だった神宮寺は国家守護の祈願寺、天台密教の拠点として寺運も隆盛し、治承2年(1178)には奥州平泉の藤原秀衛が庇護し社領5千石を安堵されました。歴代領主にも庇護され北畠顕家、安部師季、安部教季がそれぞれ堂宇の修復や寺領の安堵が行われました。

天正14年(1586)当時の領主津軽為信が再興し祈願所としましたが南部家との対立もあり猿賀神社十二坊が破却、神宮寺の僧侶を追放し天台宗から曹洞宗に改宗させられ別当も最勝院が務めるようになります。

弘前藩(藩庁:弘前城)2代藩主津軽信枚は津軽家の安泰を図る為、幕府の重鎮である天海大僧正に師事した事で再び天台宗に改宗し津軽天台四山(報恩寺・薬王院・神宮寺・袋宮寺)を定め、更に弘前城築城に際に四神相応の思想から東方に位置する青龍の守護神として猿賀神社が位置づけられた事から、四山である神宮寺が元和6年(1619)に再度猿賀神社の別当に復権し寺領100石を安堵されます。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により猿賀神社となり、支院の中で寺院として残された東光院と蓮乗院のうち東光院が神宮寺の名跡を継ぎ現在に至っています。

仁王門(切妻、鉄板葺、三間一戸、八脚単層門)に安置されている金剛力士像(像高2.7m、阿吽1対)は案内板によると「 本藩旧記に依れば、文政6年(1823)6月14日作、弘前鍛治町秋田屋五郎の作と言われる。同旧記に尾上村惣兵衛、猿賀村庄兵衛の寄進したものと記録されている。 平川市文化財 」とあります。金剛力士像は貴重な事から平成18年(2006)に平川市指定文化財に指定されています。山号:猿賀山。院号:長命院。宗派:天台宗。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板

神宮寺(猿賀神社別当):写真

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