猿賀神社(平川市)概要: 猿賀神社は青森県平川市猿賀石林に鎮座している神社です。猿賀神社の創建は仁徳天皇55年(367)、上毛野君田道命が東夷東征の際、伊寺水門で戦死、家臣は田道命を埋葬しましたが、賊が墓を暴くとそこから大蛇が現れ賊を一蹴したそうです。それを見ていた住民が田道命の祟りを恐れ、近隣の産土神として祀りました。延暦12年(793)、坂上田村麻呂がこの地に赴き蝦夷征伐の戦勝祈願をしたところ見事念願成就し、感謝の意を込め猿賀野に仮遷宮し、大同2年(807)には勅命で現在地に遷宮し社殿を造営しています。その後、猿賀神社は神仏混合の形態となり深砂大権現(神蛇宮)と称し歴代領主に崇敬庇護されます。
治承2年(1178)には藤原秀衛、建武2年(1335)には北畠顕家、延文2年(1357)には安部師季、応永18年(1411)には安部教季がそれぞれ社殿の修復が行われています。
古くから神仏習合し別当寺院として神宮寺が祭祀を司ってきましたが戦国時代に入ると乳井玄蕃が別当になるなど戦乱に巻き込まれ、その後、大浦為信(後の初代弘前藩主)により天台宗の神宮寺は排斥され、変わって大浦氏の祈願所で曹洞宗の最勝院が別当となり、天正14年(1586)には社殿が再建されています。
為信の跡を継いだ弘前藩2代藩主津軽信枚は徳川家と近づく為、幕府に大きな影響力のある天海大僧正に師事し天台宗に改宗、これを機に猿賀神社の別当寺院に天台宗だった神宮寺を復帰させ津軽天台四山の1つとして篤く庇護しました。
又、猿賀神社の境内が弘前城の東方に当たり、大蛇や龍の信仰に近い事から四神相応の青龍に位置づけられ津軽家歴代の祈願所となりました。
天明5年(1785)と寛政7年(1795)には江戸時代後期の紀行家で民俗学の祖とされる菅江真澄が参拝に訪れ由緒や境内の様子を記録しています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治4年(1871)に猿賀神社と社号を改称し明治6年(1873)に郷社、明治13年(1880)には県社、昭和34年(1959)に神社本庁別表神社に列しています。
現在の猿賀神社本殿は文政9年(1826)に建てられたもので三間社流造、白木造り、銅板葺、正面三間向拝、高欄、脇障子付、江戸時代後期の神社本殿建築の遺構として貴重な存在で平成6年(1994)に青森県重宝に指定されています(附棟札2枚:文政九年六月二十九日 奉造営奥州津軽郡猿賀山深砂大権現精舎一宇・安政三年九月二十五日 奉修覆奥州津軽郡猿賀山深砂大権現精舎一宇)。
中門は切妻、銅板葺、一間一戸、薬医門。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、正面千鳥破風、平入、正面3間向拝付、外壁は真壁造り板張り。
旧暦1月7日の七日堂大祭は平成21年(2009)に「津軽の七日堂祭」として国の選択無形民俗文化財に例祭(旧八月十五日)である十五夜大祭前日の宵宮に奉納される津軽神楽は昭和51年(1976)に国の選択無形民俗文化財、昭和31年(1956)に青森県指定無形民俗文化財に指定されています。
津軽大北斗七星。祭神:上毛野君田道命。相殿神:保食神。
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