五所川原市金木町: 斜陽館(太宰治生家)

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五所川原市の見所
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 ・ 春日内観音堂
 ・ 中島遺跡
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 ・ 松倉神社
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概要・歴史・観光・見所
斜陽館(五所川原市)概要: 斜陽館は太宰治の父親である津島源右衛門が建てた建物です。津島家は明治時代に大地主となり銀行経営なども行われ斜陽館でも一部銀行として利用されました。建物は明治40年(1907)に建てられたもので、木造2階建て入母屋、鉄板葺、妻入、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、1階11部屋、2階8室、建築面積723.09uの大型町屋建築、旧銀行の店舗や応接室などの名残が見られます。敷地面積は約680坪、道路側には高い煉瓦積みの塀(折曲がり延長61.9m)があり庭園への入口はアーチ状にするなど当時の洋風建築の要素も見られます。太宰治は中学進学までこの家で過ごし、太平洋戦争の際は妻子と共に疎開したことでも知られ、小説「津軽」や「思ひ出」では斜陽館や金木町と思わせるシーンが盛り込まれていると言われています。斜陽館の建設には日本三大美林に数えられる青森ヒバを多用するなど贅を尽くしたもので当時の金額で約4万円の工事費が掛かったとされますが、当時の太宰はあまり好意的には捉えていなかったようで、昭和21年(1946)に発刊された「新文芸」で記載された小説「苦悩の年鑑」では「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」、「この家の間取りは、金木の家の間取りとたいへん似ている。金木のいまの家は、私の父が金木へ養子に来て間もなく自身の設計で大改造したものだという話を聞いているが、父は金木へ来て木造の生家と同じ間取りに作り直しただけの事なのだ。」と表現しています。太宰治が死去後、斜陽館が売却され昭和25年(1950)から旅館「斜陽館(太宰治作の「斜陽」から名付けられた)」が開業し、太宰治縁の建物として多くの人達が宿泊に利用しました。平成8年(1996)に旧金木町が買い取り、平成10年(1998)から太宰治記念館「斜陽館」として開館、平成16年(2004)に明治時代に建てられた近代和風大地主住宅(主屋・文庫蔵・中の蔵・米蔵 ・煉瓦塀・設計:堀江佐吉・施工:斎藤伊三郎)で太宰治の生家としての記念的な建物という理由から国指定重要文化財に指定されています。
斜陽館
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斜陽館 斜陽館 斜陽館 斜陽館
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