十三湖(五所川原市)概要: 十三湖は津軽半島北西部の日本海岸にある汽水湖で東西7キロ、南北5キロ、湖周25キロ、水深3m前後、面積10.8平方キロあります。十三湖には岩木川を中心に山田川、宮野沢川、薄市川、今泉川などが流れ込んだ為、河口である十三湊は古くから港町として発展しました。
10から11世紀には十三湖湖畔に総面積62万5000uの福島城が築かれ当時から巨大な権力をもった支配者がいたされ、12世紀に入ると奥州平泉(現在の岩手県平泉町)に本拠をもった藤原秀衡の弟藤原秀栄(後の十三氏)が十三湖周辺を支配します。その後、安東氏が台頭するようになり寛喜元年(1229)、当時の当主安東貞季が十三氏を滅ぼし津軽地方に大きな影響力を持つようになります。
安東氏は特に水海軍に優れた豪族とされ十三湖に面した十三湊を中心に貿易を行い日本海沿岸のみならず、北海道や樺太、朝鮮、中国などにも交易したと伝えられ、十三湊は当時の博多港にも匹敵し日本三津七湊(三津:安濃津・博多津・堺津−七湊:三国湊・本吉湊・輪島湊・岩瀬湊・今町・土崎湊・十三湊)の1つに数えられました。
安東氏は奥州十三湊日之本将軍を自称するなど隆盛を極めましたが嘉吉3年(1443)に南部政盛の抗争に破れると一族は北海道(後の松前氏)と秋田(後の湊安東氏、檜山安東氏→秋田氏)に逃れ十三湖周辺は南部氏の支配となります。
戦国時代末期になると大浦為信によって津軽地方が統一され江戸時代に入ると弘前藩(藩庁:弘前城)が立藩し属するようになっています。
安東氏が十三湖を離れてから十三湊は荒廃しましたが弘前藩が整備を行い青森・鯵ヶ沢・深浦と共に弘前藩4浦の1つとして重要視されました。又、十三湖周辺は湿地や荒れ地も多く11代藩主津軽順承の時代には千貫崎が新田開発されています。
現在十三湖周辺では十三湊遺跡(国指定史跡)をはじめ、山王坊遺跡、中島遺跡、浜の明神遺跡、福島城跡など安東氏時代の遺跡が数多くあり発掘調査も進んでいます。又、十三湖の特産であるシジミは宍道湖、小川原湖と並ぶ日本有数の産地として知られています。11月上旬頃はオオハクチョウの渡来地としても貴重で昭和35年(1960)には名称「十三湖の白鳥」として青森県指定天然記念物に指定されています。
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