小金山神社(入内観音堂)

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概要・歴史・観光・見所

小金山神社(入内観音堂)概要: 小金山神社(入内観音堂)は青森県青森市入内駒田に鎮座している神社です。小金山神社(入内観音堂)入内観音堂の創建は大同年間(806〜810年)、蝦夷東征の為当地に派遣された征夷大将軍坂上田村麻呂が勅命を完遂し、蝦夷の首長「大獄丸」を討ち取り、その首を当地に埋め観世音菩薩を安置したのが始まりと伝えられています。天慶年間(938〜947年)平将門の孫とされる信田小太郎が当地に逃れて三間四方の白山権現社と観音堂を造営し入内観音堂を再興したとされます。平将門の男系の子供の内唯一生き残った平将国が常陸国信田(信太)郡に住した事に因みその子供である文国(小太郎)の代に信田姓を名のる様になりました。

文国(小太郎)が家督を継いだのが幼少時だった為、家臣で義兄だった小山行重が所領を接収し追い出した事で、文国(小太郎)は全国を流浪し当地に流れ着いたとされます。

その後、入内観音堂は荒廃しましたが慶長年間(1596〜1616年)津軽為信が再興し寺領30石を寄進し堂宇の再建が成され寺号「華福寺」が与えられました。無住だった事もあり再び荒廃しましたが寛永18年(1641)に住民達の浄財により堂宇が再建され、その後は津軽観音霊場24番札所(当初は28番札所)に選定されなど隆盛しました。

寛政8年(1795)には江戸時代後期の紀行家で民俗学の祖とも云われた菅江真澄も入内観音堂(小金山神社)を訪れ由来や境内の様子を記録しています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により仏教色が一掃され小金山神社に改称しています。ただし、本尊不在のままでも信仰が続けられ廃仏毀釈運動が沈静化した明治時代中期に再び聖観世音菩薩像を勧請し安置しました。

その後、小金山神社の社殿が新築する事になり隣接地に観音堂が建立されています。本尊は慈覚大師円仁が彫刻したと伝わる古仏で当初は常陸国にあったとされますが慶長19年(1614)に常陸出身の信者によって奉納されたと伝えられています(慈覚大師円仁が当地に訪れ彫刻したとも)。

小金山神社に安置されている狛犬は寛文5年(1665)に越前国新保出身の中村新兵衛が奉納したもので足羽山(福井県福井市)産出の笏谷石(凝灰石)製、阿像:高さ67.5cm、幅38cm、吽像:高さ65.0cm、幅37cm、当時の青森湊と北陸地方との交易を知る貴重なものとして昭和47年(1972)に青森市指定有形文化財に指定されています。

小金山神社拝殿は入母屋、鉄板葺、妻入、桁行4間、梁間4間、正面1間向拝付、本殿は一間社流造、銅板葺。津軽三十三観音霊場24番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:おしなべて 高き賤しき 者までも ここに歩みを 運ぶなりけり)。祭神:大山祇命。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(狛犬一対)

小金山神社:社殿・観音堂・写真

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